超健康幻想について。

超健康幻想ということばがあります。「この病気や障害さえなければ、完璧にしあわせで順調な生活が送れるはず!」「この病気や障害がない人は、完璧にしあわせで順調な生活を送っているはず!」という幻想のことです。こうやって書くといかにも幻想ですね。しかしよくあります。

ちょっと古いことばで、精神医学公式用語、ってほどのものではないので、検索しても出てくるかどうかは自信ないです。

 

 

健康が一番、という考えかたはあります。健康のありがたみがわかった、という人もいます。それはそれでいい。しかし、その人たちは、たとえば病気になるまでの間、完璧にしあわせで順調な生活を送っていたのでしょうか。たぶん違うと思います。

完璧にしあわせで順調な生活を送っていたわけではない人がなんらかの病気にかかり、そして治ったとして、とつぜん完璧にしあわせで順調な生活が始まる? そんなわけはありません。

 

 

超健康幻想を持ち続けて、病気が治って多少幻滅するだけなら別にいいんです。

問題は、超健康幻想のかげにある、「病気・障害が治る/治らない」の二分法です。

この二分法があるから、「この病気や障害さえ『なければ』」という言い方が成り立つんですよね。病気が多少軽くなったら、とか、障害が理由の問題が多少解決したら、とかではない。病気や障害が、消えてなくなることが想定されている。

 

 

多くの病気は、そう簡単に消えてなくなりはしません。消えてなくなるとしても、時間がかかりますし、そもそも、消えてなくなることが期待しづらい病気もあります。障害についても、同様です。

これ、消えてなくなることを希望するだけならいいんですけど、消えてなくなること「だけ」を期待するようになると、ややこしいことになります。多少の改善、ちょっとした工夫が、受け入れづらくなるんですね。たとえば、生活リズムを整えるために、まずは午後10時に睡眠薬をのみましょうか、という提案をするとします。「それでこの病気は完治しますか」「完治はしません」「それでは意味がないので、完治する薬をください」とかになるんですよね。

そう、病気や障害を消す? 薬やサプリを探す人の中にも、超健康幻想にとりつかれている人たちがいます。目の前にできることがあっても、それには目を向けず、新薬とか治験とかの情報を探し続けてしまったり。

 

 

超健康幻想は、支援者の中にもあります。

「この病気さえなければ、完璧な人格とすぐれた知識、深い人生経験などによって大いに社会貢献し、本人も周囲も非常にハッピーになるはずの人」を支援しているという自己暗示ですね。病気になる前にそんなパーフェクトな人だったのかというと別にそんなことない。しかしそういう自己暗示をかけてしまう。

これもね。うまく行かないことが多いです。幻想ですものね。行きすぎた支援の背景に、この超健康幻想があるケースも散見されるように思います。

 

 

(目下の問題)さえなければ、とつい考えるのは、たぶんふつうのことなんですよね。一気に手軽に問題を消し去りたいというのも、自然なことなんでしょう。そこをこらえて目の前のことに注目しコツコツやっていくのは、病気や障害の人だけでなく、支援する側にも必要なことですよね。自戒を込めて。