うつだった15年間のこと。

すこし昔のこと。

わたし、20代後半から30代にかけて15年くらい、うつだったんですよね。うつ病と言ってもいいんですけれど、専門用語としては本来はうつ病とちょっと違うので、そのへんは謎の専門家的こだわりを発揮して「うつ」としておきます。遺伝的な問題が大きく、何かがあったとかではありません。ASDとも直接の関係はないです。

 

 

正直言って重症でした。重症のうつ病とその仲間たちにおいては、記憶が定かでなくなります。わたし自身もそうでした。記憶は、きわめて断片的です。というかほぼない。

記憶障害の一因は、当時、「思い出す」という行為そのものがフラッシュバックの嵐を呼び起こしていたことです。思い出すという行為がぜんぶ、できないわけです。何かを思い出そうとするとフラッシュバックが巻き起こりそもそもの思い出そうとした記憶を吹き飛ばしてしまう。すこし回復して、小学校時代のことを思い出せたとき、なんかすごくうれしかったです。

 

 

あれでよく出勤していたというか職種を考えるに出勤しちゃダメだろう、と思うのですけれども、出勤していた日もありました。休職期間もありましたし、行けない日も多かったです。行けないというのは、家から出られないならまだしも、布団から出られないということがしばしばありました。精神運動抑制といいます。布団をかぶって寝ていたい、ではなく、布団の上に寝たまま動けない、です。頭も身体も動いてない。

患者さんによれば、「あずさ先生幽霊説とかあったんだよ、だってときどきしかみかけないし」だったんだそうです。各方面に申し訳ないことをしました。いや、笑い事ではないのはわかってるんです。きちんと出勤できるようになったからこそ、ことの深刻さが身にしみてきたというか。

 

 

副作用も強くて、体重が20キロ増えて30キロ減り、そして15キロ増えて現在に至ります。何をどう考えても食べる量は減っているし運動も増やしているのに体重が増えるとか、何をどうやっても半人前も食べられないとか、自分の身体が自分の言うことをきかないというのはしんどいですね。

薬が強かったため、一日うっかり忘れると手が震えて文字が書けないなどの離脱症状が出ていたこともあります。何より一日ぼんやりしていました。のちによい薬が手に入るようになり、ぼんやりする薬は処方から削除してもらいました。

 

 

そうはいってもこの職場に来て4年、何もかもが順調というのからはほど遠いにしても一日も休まず出勤して働いております。4年の間には、元気になった患者さんもいます。薬を含めた治療の成果でもあり、ようやくパワハラのない職場にたどりついたこともあり、いろいろな事情があります。病気していなければ、と思うことはあります。しかし、事実はどうにもならない。

 

 

こういう経験があるから病者の気持ちがわかるとかいいたいわけではありません。それだけは絶対にない。それは、使ってはいけないカードであると認識しています。

 

 

むしろ、病気って、ひたすら失うものばかり多いんです。まず、年齢相応の経験。医者の世界は年功序列制なので、年齢と経験が釣り合っていないとおたがい気まずかったりします。経験と同様に問題になるのが、資格です。医師免許は持っていますけれど、他の資格がおっつかない。重要なものから取ってはいますけれど、ほんらいこれ、医者になって5年目とかで揃える資格なのよね、とか思い始めるとつらくなります。「まともな精神科医ならこれこれの資格があるはず」とか書いてあるのを見るとぐさっときます。わたしにあてて書かれたものじゃない、そんなことわかってるけど。

人間関係もそうですね。リセットされてます。連絡とるどころじゃなかったです。

そして、いちばん困るのが、無理ができなくなったこと。いや、できるのかもしれませんけれど、怖くてしかたないのです。またあの日々にもどる可能性がある、と一瞬よぎった時点で動けなくなります。

 

 

よくいままで生きてるよね、とか思うことが、いまでもあります。