ラベルとしての診断名。

本には、タイトルと本文がありますよね。忙しい人はタイトルだけ見るかもしれない。興味関心のある人は本文も読むかもしれない。本文にまとめがついていた場合、まとめまでなら読む人と、全部読む人との両方がいそうです。

 

 

診断名(病名/障害名)って、この「本のタイトル」にあたる気がするのです。たとえば役所の人は忙しいですから、タイトル(=診断名)を必要としている。全員の本文を読むとか無理ですものね。そのいっぽうで、本人は自分のことだから本文を全部読むことでしょう。本文とはなんでしょう?

 

 

この場合の本文は、たとえばこんなことだと思います。わたしの場合↓

「わかりやすいASD特性はあったけど知能が高かったので見過ごされてかつ許されて、父親も同類だったので特性はさらに育てられ、医者になるあたりで他人に通じないことばで話していることに気づき、精神科医となった後にASDの概念を知った」とかになりましょうか。まとめ方はいろいろあっていいと思います。もうちょっと長く・詳しく語ることももちろんできます。別の軸でまとめることもできます。得意不得意とか。

 

 

自分の人生についてまとめ、語り、自分で納得すると、たいていの人は少し気持ちを強く持てるようになります。安心して生活できるようにもなります。そりゃそうですよね。「わたしってどういう人間なんだろう」がさっぱりわからなければ、当然不安ですから。

その語りを、たとえばASDの3文字でまとめてしまうのは、もったいないように思います。ASDの3文字が厳密に正しいかを追求するのもいいんですけど、同時に、自分自身の語りをブラッシュアップするのもよいかなとか。

 

 

昔、精神科医になりたてのころ、「診断名は単なるラベルだし、診断名を聞かれるということはこれまでの経緯の説明や今後の見通し、治療方針等に納得がいってないということだから、それは主治医としては負けだ」と教わりました。いまでもそう思って診療にあたっています。