ASDと論理性。

診察場面で、「問題を切り分けましょう」とかよく言います。場合分けですね。「理解」には「分解」の「解」の字が入っており、「わかる」は「分ける」です。分解することだけが考えることではないけれど、分解するとものごとはずっとわかりやすくなります。

 

 

最近は、MECEとかいうことばがあるのだそうですね。Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive。モレなく、ダブリなく。

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これ、高校で習った樹形図でも実現可能です。こっちのほうがわかりやすい人も多そうです。診察場面ではよく描きます。

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ASDの人は、問題を切り分けるアプローチになじみやすい印象です。論理性の高い人が多いからでしょうか。論理性は抽象能力と深く関連しています。抽象というのはこまごました枝葉を取り除くということです。対人関係とか(対人関係そのものが対象である時を除き)そのほとんどは枝葉ですから、対人関係の扱いが比較的苦手な人は論理性を育てやすいのかもしれません。

また、筋が通らないこと、通せないことに敏感な人、「そのへん適当に」「ケースバイケースでしょう」が苦手な人も、論理との相性はよいと思われます。

 

問題を切り分けるというのは、多くの場合は場合分けです。

 

 

ASDの人で、フェア/公平な印象を与える人は多いように思うのです。その理由の一つが、「場合分けが得意」なのかな、とか。場合分けが得意ということは、全部まるっとまとめて決めつけたりしない、ということですものね。

一回興味を持てば根気よく取り組める、というのもあるかもしれません。きちんとした分類には根気がいります。

また、細部まで注意を払うことも必要です。ASDの人の描く絵は、すみずみまで描きこまれている傾向があるとどっかで読みました。


多数派の人でももちろん論理的だったり分類や場合分けが得意だったりする人はいます。傾向の問題です。

 

 

切り分けや場合分けの能力と、それらをわかりやすくアウトプットする能力は別です。図でもことばでも何でもいいんです。お好みで。

ASDの人でも、アウトプットの能力は人によるようです。アウトプットは練習で伸ばしやすいところです。アウトプットやプレゼンを磨いて、他人にも上手に伝えられると、活躍の場は広がるのかもしれないと思ったりします。