ASD的共感スタイルのこと。

共感にはいろいろあります。想像力とも、かぶるところがありますね。

ASDの人についても、「共感が苦手」とざっくりまとめられることがあります。しかし、ASDの人の中には、文学やアニメで想像力を鍛えた結果なのか、他人の抱える事情からその他人の感情を正しく推測できる人もときどきいます。毎回じゃなくても、です。

 

 

苦手なのは「反射的」共感、相手の感情や表情を瞬時に共有して相応の対応をとること、なのではないでしょうか。少なくともわたしは苦手です。

そしてこれ、違和感をもたれやすいです。(目の前の相手が泣いているのに)「なんとも思っていない」などなど。表情が動かないのは自覚しています。反射的に動くのがポイントなので、表情を作っても間に合いません。

その一方で、(目の前の相手が泣いているのに)冷静に淡々とやるべきことをする、という点が評価されることもあります。泣くに至った事情は理解した、それはつらいと思う、できることはしてあげよう、そういう「共感」は働いているわけです。泣いてるか泣いていないかは、わたしの行動をあまり左右しなかったりします。泣いてなくても、つらいものはつらい。そのくらいは理解しているつもりです。

 

なんとも思っていない、とは違います。あくまで、「反射的に」感情や表情を共有できるかどうかの違いです。相手がつらいと判断すれば、相応の行動をとることはできます。

 

 

ASDの人の共感については、「反射的に」感情を「共有する」ことができない、というのがメインのケースもあるんじゃないでしょうか。少なくともわたし自身については、そのように分析しています。

 

 

共感についてはこちら↓

 

1 相手の状態を知る(嬉しいとか悲しいとか怒っているとか)

2 相手の表情に反応して自分の表情が動く

3 相手が感じているのと同じように自分も感じる

4 自分がその状況に置かれたらどう感じるだろう、と(知的に)想像する

5 相手はどう感じているのか推測する

6 自分が相手だったらどう感じるだろう、と(個人的に)推測する

7 つらそうな人がいると自分もつらい

8 つらそうな人になにかしてあげたいなと思う

The Social Neuroscience of Empathy (English Edition)

 

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