「ASDは治る」というフレーズ。

ASDが治る治らないの議論になることがときどきあるように思います。治るというのが、ASDの特性が消滅するという意味なのか、ASD由来の問題が解決するという意味なのか、いまひとつ不明なことも多いです。「治るって何」とか考えてしまったりします。

 

 

ASDは治る」というのは、「うつ病は治る」とは違います。似ている点もあります。

 

 

うつ病は治る」というのは、主に治療を始めていない人へのメッセージです。治療を始めていない人に、治療をすればよくなるから治療しようね、と呼びかける。実際、うつ病の治療で快方に向かううつ病の人は多いですから、この呼びかけは正当です。うつ病を放置して悪化しても困るので、この呼びかけは必要でもあります。

しかしこの「うつ病は治る」で傷つく人もいます。うつ病の治療が難航している人たちです。治るはずのうつ病が治っていないというのはどういうことだろう、と悩んでしまうわけです。自分のせい? 主治医のせい? それとも? 追い詰められ、そして焦りが増える。あせりは、うつ病には害になります。正直よろしくない。

そうはいっても、「うつ病は治りますから根気強く治療しましょう」という励ましが必要な場合もあります。このへんは難しいところで、主治医との信頼関係が必要だったりします。

 

 

ASDは治る」というのも、この、治療の難航しているうつ病患者さんにとっての「うつ病は治る」に近いものがあるように思います。治ると言われても困る、こんなに努力しているのに解決してない、これ以上何をどうしろっていうの。(でもでも、治るというなら、かなり怪しい治療でもやってみなくもないけど。)追い詰められる、焦る。

さらに、うつ病と違い、「ASDがない状態」にはならない可能性が高い。問題は解決するかもしれません。一部の特性はひょっとしたら消えるかもしれません。しかし、ASDの特徴がすべて、きれいさっぱり消滅して多数派に生まれ変わるというのは考えづらい。

 

 

ASDについては、特徴がきれいさっぱり一つ残らず消滅することは考えづらいです。しかしながら、一部の特性が消える可能性はあります。ASD由来の問題が解決する可能性はもっと高いです。

ひとつの問題が解決するとして、それは本人の努力かもしれない。ちょっとした工夫かもしれない。環境調整かもしれない。問題は解決するとして、本人の苦労や負担が大きいケースもあるでしょう。それを解決と呼ぶかどうか。また、何をどうやっても残る問題も、あるかもしれません。

ASDについて状況を改善するとして、できるとして、改善のレベルはさまざまです。それぞれの人について、それぞれの特徴について、細かくみていって、分類して、判定して、努力・協力・援助する必要があります。

この「細かく見ていって」には、支援が必要なことが多いです。しかしそれ以前に、一歩引いて、俯瞰して見る必要があるように思います。そして一歩引くためには、気持ちの余裕が必要です。

 

 

まずは余裕を持つための支援かなあ、と思ったりして。どうでしょうね。