忖度と指揮命令系統(?)
病院にも、指揮命令系統は存在します。
たとえばわたしは医者です。自分が主治医である患者さんについて…
経営陣や院長のいうことは聞く必要があります。
病棟の患者さんについてであれば、看護師長と話し合って決めます。
その他のスタッフについては、意見は取り入れることはできますけれども、そのとおりにする必要はありません。
たとえば、持病のある患者さんが、持病の定期受診に行く、という場合。わたし(主治医)は行くべきだと思っているとします。たとえば:
経営陣や院長から「コロナなので延期しなさい」→たぶん延期します。反論はするかもしれません。
看護師長から「コロナなので延期したい」→話し合います。
事務員から「コロナなので延期してほしい」→いちおう一意見として聞きはしますけれども、わたしがそれに従う「必要」はありません。
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ここで、事務員からの「コロナなので延期してほしい」は、本来、わたしは従う必要はありません。わたしは患者さんに対して責任がある一方で、事務員にはその責任はあるにしても軽いからです。責任が重いほうが決定権があるのは道理です。
しかし、忖度を求められることはあります。
たとえば、経営陣の意見であるという「雰囲気」があったりするわけです。
「それ、あなたの意見ですか」と尋ねると、なんだかはっきりしない。だって、事務員自身の意見であれば、わたしは(自分の方針と相容れない場合)それに従う必要がないからです。
では、「それ、経営陣の意見ですか」と尋ねると、これもはっきりしません。経営陣の意見であると明言すると、経営陣のメッセージを伝えるメッセンジャーということになります。経営陣がわたし(医者)に、はっきりとものごとを伝えた場合、責任が発生しますよね。これは、忖度になっていない。
というわけで、「誰の意見か不明なので、聞く必要はないと思います。経営陣の意見であれば、そのように明らかにして申し入れてもらえれば、検討します」…… 忖度の拒否ですね。
反抗するのが趣味なのではありません。患者さんの持病とコロナのリスクを天秤にかけて、主治医の責任で患者さんの持病を優先する、というだけです。でもこれ、まあ、上層部を怒らせがちです。そして、この例ではあたかもわたしが忖度の強要に気づいているかのように書きましたけれど、そもそも、ふだんは、わたし自身、忖度に気づけない。忖度しろという暗黙の指示? に、従う従わない以前に、まったく気づけないことのほうが多いです。
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「いやまあ忖度しろという暗黙の指示が、アンフェアとはいえ存在することはいいとして、この場合、その持病のある患者さんの不利益については、勘案した上の指示なんだろうか」
忖度により上層部は責任を逃れることができます。わたしが、さも自分の判断であるかのように「コロナだから定期受診は延期」と言い、その患者さんの持病が悪化したとして、わたしの責任ですよね。上層部の責任にはならない。
そこまでは理解できるとして、患者さんの持病の件はどうなったのか。みんな、持病が悪くなるリスクは重々承知の上であえて無視しているのか。ずっと疑問でした。
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どうも、患者さんの持病の件は、しれっと、まるっと、忘れられているらしいんですよね。組織の「和」の前では、患者さんのこうむる不利益とか、わりとあっさり無視される、ということなのだそうです。
「でも不利益は不利益で、わたしが患者さんに、不利益を与える判断を下すわけにはいかない」
「その、患者さんの不利益が見えていること自体が、忖度ができてないってこと。忖度ができる人は、忖度で視界が覆われて、患者さんの不利益は見えない、というのが普通だから」
…… 忖度なんかできなくてもいいようにも思います。こんなこと言ってるから、いつまでたっても社会不適合者のままなんでしょうけどね。