精神療法とは何かみたいなこと11。主治医とはどういう存在なのか。

カウンセリング(話を聴く、話を聴いた上で薬物療法以外のいろいろな治療を行う)については、心理士さんのほうがきちんとしたトレーニングを受けています。もちろん、優秀な医者もいればいまいちな心理士さんもいますけれども、そうはいっても全体としてみれば、カウンセリングは心理士の領域。そうだと思います。

それでも「精神療法」が成り立っているらしい件について、「医者の権威だ」「白衣効果だ」などと、心理士の友人と盛り上がっていました。精神科医と心理士の違いについて、彼女の娘さん(中学生)に説明する機会もありました。… 職業としてみれば、やはり、カウンセリング的対応は、心理士さんのほうが得意のようです。

 

 

「医者」「精神科医」であることに加えて、「主治医」であること、これが問題になりはしないでしょうか。

 

 

医者の仕事のうち重要なもののひとつに、「指示を出す」があります。あれやってこれやってと、ほかの職種に依頼するということです。たとえば、「血液検査をするので、採血をお願いします」と看護師さんに依頼する。これが「指示」です。

現在、病院の中でカウンセリングを行うには、「医師の指示」が必要です。正確にはいろいろあるんですけれども、まあ、おおざっぱにいうとそんな感じです。この「医師」とは誰のことかというと、もちろん、主治医ですね。少なくとも病院の中では、指示する人/される人 の区別があるということです。

 

 

だれが指示を出すかなんて患者さんには関係ないか、そうおっしゃる方もいると思います。上記の血液検査にしたって、「指示」なんてものが存在することを知っている人ばかりではないでしょう。

指示するというのは、なんか偉い感じもしますけれども、偉くなくってですね。指示を出すという「役割」にすぎません。偉いから効果があるとか言いたいわけではありません。

ただ、そこには「責任」が伴います。もちろん、「治らない責任をとれ」と言われてもどうすればいいかわからないことは多いのですけれど、それにしても。

さっきの血液検査の例でいえば、たとえば針がうまく入らなくて何回も刺したとして、その看護師さんだけではなく、主治医も謝るのが筋です。たとえば手術であれば、術者の医者の名前をとって誰々先生の手術、といいますね。看護師さんが活躍したとしても、やはり、術者の名前がつきます。そして、いちばん感謝されるのも、いちばん責められるのも、術者です。仮に誰か別の人が活躍したとしても術者は感謝されるでしょうし、別の人がミスをしても術者は謝らなければならない。

「責任者出てこい!」という言いかたもありますね。

 

 

具体的に何ができる、ということ以前に、その患者さんのケアについての責任者が面談をする、それそのものに意味/価値はないでしょうか。もちろん、だから技術はいらないとかだから何もしなくていいとかじゃないんです。でもそれにしたって。

 

やっぱり、医者のほうが「楽」な気もします。