精神療法とは何かみたいなこと10。誰にとってのプラセボ?

プラセボ効果というものがあります。効くと思ったら効く、というあれです。鰯の頭も信心から。これと信じて、水を飲め。ご想像のとおり、精神科ではかなり有効です。よく効く薬が少ないという事実も、残念ながらあります。治験(新しい薬がほんとうに効くかどうかの試験)ではプラセボは邪魔で排除すべきものであるいっぽう、治療においては(効くという)プラセボは歓迎です。

 

 

それはまあいいとして。

あずさが処方するAという薬は効かない。Bという薬はよく効く。

別の医者が処方するAという薬はよく効く。Bという薬は効かない。

なんてことが実際あります。「あの先生はAの薬が好きだよね」とか言うんですけど、好きも何も、よく効くから処方しているわけです。わたしが真似してAを処方すると、ぜんぜんとは言いませんけれどたいして効かない。

しかし、たとえば、わたしが留守にしている間に別の医者がわたしの患者さんにAを処方して、効いたとします。戻ってきたわたしが、「なるほど、Aは効くのだ」としみじみ納得したとしましょう。なぜか、その後は、わたしが処方するAもそれなりに効きます。

 

 

50年前はいまの100分の1の量でじゅうぶん効いた薬、というのもあるようです。出現したばかりで期待が大きかったからでしょうか。対象となる患者さんの病状はだいたい同じであったようなんですけどね。

 

 

医者にとってのプラセボ、だと思います。

だから、効く効かないの論争が終わらないわけです。Aはすばらしい薬だ、いやBのほうがすばらしい、Bなんて効かない、いやいやAなんて副作用ばかりだ… たぶん全部「本当」なんです。少なくともある程度は。

 

 

もちろん、習熟の問題はあります。頻繁に使っているうちに、「どのような症状/どのような患者さんに」「どのくらいの量」「どういう頻度で」「いつまで」使えばいいか、細かい感覚は身についてきます。しかしそれにしたって、あの先生の処方するAは効くし、わたしが同じ量のAを処方してもそこまで鮮やかには効かない。

これは効く、という演技の話じゃないんですよ。わたしが演技が下手だからという問題でもないように思います。

 

 

たとえば抗生物質においては、ここまで(医者の)プラセボは関与しないようです。何なんでしょうね。

 

これは薬物療法の話ではあるのですけれど、広い意味では精神療法の話だと思っています。なんかオカルトチックですけれど。精神科ってものすごく原始的なところがありますから、薬はほんらい「そういうもの」なのかもしれません。