アスペ的論理/道徳その11。全員、を警戒する。

他人を責める言説は疑ってかかるのがよいと思います。とくに、「全員」というのは、成り立たない可能性が高いです。仮にいまのところ成り立つように思っても、一人例外が出現すればもう成り立ちません。他人を責めておいて「間違ってました」とか謝るくらいなら(認めないよりマシですけど)最初から責めないほうがいいですよね。

 

たとえば

あずさは精神科医

あずさには弟がいる

すべての精神科医には弟がいる

そんなわけない。一人っ子の精神科医を一人連れてきたらこの話は終了です。

 

彼はとんでもないやつだ

彼はアスペだ

アスペは(全員)とんでもないやつだ

まじで?

よい人のアスペが一人いたら、この結論は否定されます。

いま見つかってなくても、今後見つかるかもしれませんよね。

 

どうしてもそのように主張したい場合は、

自分がいままでに見てきたアスペはとんでもないやつばかりだった

自分のこれまでの経験では、アスペは全員とんでもないやつだと思う

と、「自分の」「これまでの経験」に過ぎないことをはっきりさせておくと、よい人のアスペに出会っても比較的安全です。人の話をちゃんと聞かない人も多いので、危険はゼロにはなりませんけどね。

 

「自分のことも他人のことも責めない」をマイルールに設定してしまうと楽です。自分・他人を責める(否定する・悪く言う)必要を感じた場合、そのフレーズは本当に正しいのか(筋が通っているのか、例外とかであっさりくつがえされたりしないのか)を検討するのもよいと思います。

自分・他人を責めるというのはつまり「決めつけ」であることが多く、「決めつけ」はしばしば、部分と全体の混乱に起因します。一部の人が、というのと、すべての人が、というのがごっちゃになってるって、かっこ悪いですよね?頭悪そう、というか。

スマートに行きたいな、と思うわけです。