アスペ的論理/道徳その12。思考実験。前提を変えて極端を想定する。

思考の進め方で行き詰まったとき、頭の中で前提を変えて極論を展開することで、現実が見えてくることがあります。現実に何かを反映させようとかではないので、単純に楽しめる遊びでもあります。思考実験といいます。

 

例として、アスペ98%の国に、定型が移住してきたとしましょう。この少数派である定型の人たちを「定形族」と仮称します。アスペ的にはこの「定形族」が理解できないため、研究者が観察を行いレポートを作成しました。以下、レポートです。(昨年5月にNHKで「定型発達症候群」という特集があったとあとで知りました。勉強不足です。でも、せっかく書いたのでこのまま載せておきます)

 

まえがき 

わが国に定型族数十名が移住を希望したため、政府は、十分な広さのある無人区域を定型族自治区と設定した上で移民を認めた。その交渉のなかで、コミュニケーション上の齟齬が多数発生し、相互理解にはかなりの時間を要した。彼らの思考/行動様式については、これまでわが国においてほとんど知られていなかったため、研究班が設置され、当該自治区においてインタビュー・心理学的実験を含む観察を行った。これまでに集積された知見をここに発表するものである。

 

1)定形族における他者理解

定形族は、「同族間においては」「直観」で相手を「理解」することができる。

ここで注意すべきは、彼らのいう直観は、同族間においてのみ働くという事実である。すなわち、彼らとは異質であるわれわれに対しては、彼らの直観は無力である。また、彼らのいう理解も、われわれの考える理解とは異なる。相手の感情および希望を読み取るという意味であって、情報・思考・未来予測や行動予定の共有ではない。

彼らの直観あるいは理解は同族間においてのみ働くにもかかわらず、彼らは「人間」であればその直観は有効であるとの主張をしばらく続けていた。のみならず、彼らの直観が通じないわれわれを「人間ではない」などと非難する者も現れた。彼らがこの国において明らかなマイノリティであり、彼らのいう「人間」は実際には彼らのコミュニティに属する人間を指すに過ぎないという認識は徐々に広まり、現在ではこの「人間」の定義についての誤解はほぼ消失したもようである。

この直観の正体については、同族間で培われた非言語的なパターン認識であると推測されている。パターン認識であるという洞察を得ている定形族は一人もおらず、「空気を読む」という表現以上の言語化は認められなかったことを付言しておく。

 

2)定型族と彼らの故郷たる閉鎖的コミュニティ

定型族には、われわれには理解しがたい思考/行動が数多く認められる。われわれの分析では、これは定形族が、定型族のみで構成される閉鎖的コミュニティに居住していたことでおおむね説明がつく。上記の他者理解形式も、その閉鎖性のあらわれであろう。

とりわけ目立つ信念としては、多数派こそが正しいというものがある。当然ながら、多数派か少数派かという問題と正誤の間には、論理的には互いに関係がない。この信念のため、わが国に移住するやいなや彼ら自身が少数派となってしまったということに気づいた者の中には、何が正しいのか分からなくなったと恐慌状態に陥るものもいた。

 

(長くなったので一旦切ります。続くかどうか?)