あずさの父親のこと。父親からみたあずさが、自分の分身であったこと。

わたしのこども時代のお話を、何度か書いてきました。そのなかに、父親がしばしば登場していることにお気づきの方も多いかと思います。父は、未診断ながらまず間違いなくアスペだろうとわたしは考えています。ほぼ全肯定で育ててくれました。中学校に上がるころまでは、関係も非常に良好でした。普通にしなさいというプレッシャーは一切かけられませんでしたし、学校における理不尽な叱責のダメージも、ほぼキャンセルしてくれました。誰々は、非常に頭がよいと同時にものすごく変わっていた、よって、あずさは頭がよいのだし、変わっていて何の問題もない、という理屈だったようです。二次障害からは護られて育ったと思います。

 

あずさのこと。人前で泣いてはならない、という教えについて。 - 精神科医的ひとりごと(仮)

さて。以前の記事で、「人前では泣いてはならない」と教えられていたことについて書きました。
「人前では泣いてはならない。多くの女性は、自分の希望を通すために泣いてみせる。それは、言語による交渉を飛ばして自分の要求を無理に通すという卑怯な行為である。あずさが泣いたら、あずさも自分の希望を通すために泣いているのではないかと疑われるだろう。卑怯なやつだと不名誉にも誤解されるのは望ましくない。よって、人前で泣いてはならない。泣きたくなったら他人のいないところに行きそこで泣くように」
この指導が「正しい」かどうかはさておくとして、これを3歳の女の子に言い聞かせる親は少ないと思います。わたしもアスペではありますけれど、3歳のこどもにはやっぱり、こうは言わないと思うのです。
「父親は、わたしと父親が別の人間だと気づいていなかったのだ」と先日ひらめきまして、いろいろなことが一気に腑に落ちました。わたしがテストで100点をとったとして、それは彼自身の手柄なわけです。横取りしたわけでも、彼の指導や遺伝のおかげのわけでもなくって、彼が100点をとったのと同じ意味だったのです。だからこそ、わたしに対しても、自分自身に対するのと同じ調子で「人前で泣いてはならない」と言い聞かせていたわけです。


女の子らしさは求められませんでした。文法そのものや敬語が間違っているならばともかく、女らしくないという理由で話し方を矯正されることはありませんでした。
先生に怒られたと報告したら事情を聞いた上でほとんどの場合「筋が通っているのはあずさだ。ひょっとしたら他に理由があるのかもしれないけれども、怒っている理由を説明するのは怒っている側すなわち先生の責任である。ただし、自分が怒っている理由を説明できるだけの論理的思考ができない人もいるので、そこは許してあげなさい」という旨の返事が返ってきました。
体育が全然できないことを訴えると、「おとなになって必要なのは勉強であって体育ではない。逆上がりは、体育の先生にならない限り大人になれば不要である。よって、授業中に一生懸命やることは必要ではあるとはいえ、それ以外の時間に悩まなくてよい」と保証されました。
祖母が、わたしのカーディガンが裏返しであることに気づき指摘すると、いずれできるようになる、小学生のうちは気づかないのは特に異常ではない(おそらく、父も子供の頃は裏返しに着ていたと思われます)と言い切っていました。

ただし、不注意によるケガなどはものすごく怒られました。同情や心配よりまず叱責でした。「親に借りている身体を傷つけるとは何事だ」と言ってましたね、そういえば。
家庭教育として「それでいいのか」って、わたしも自信がありません。父親のいう「あずさは正しい」「あずさはそれでよい」というのは、「自分は正しい」「自分はこれでよい」ということとイコールだったのでしょう。そういう事情であったとはいえ、少なくとも、わたし自身は自分を肯定して育つことができましたし、家庭の外で受けるダメージやプレッシャーも、父親によってことごとくキャンセルされていました。


わたしが十代になって、父親の中で「あずさは、自分とは別の人格である」と気づいてそしてそれを受け入れるプロセスが始まりました。もうほんとうに、たいへんでした。父親が怒り狂ったことも一度や二度ではありませんでしたし(殴られたりは一切なかったといえ、大音量で怒鳴られることはしょっちゅうでした)、わたしは父親と二度と口を利きたくないというほど毛嫌いするようになりました。自分自身を手放すのはたいへん、ですよね。考えてみれば。