悪意とかいじわるとかとASDについて。

ASDの人には、悪意とかいじわるとかの意図が持てない人がいる

 

と書いて、ものすごく怒られたことがあるんです。ツイッターをやめた理由のひとつはこれでした。なので少し怖いのですけれど、考えが進んだので書いてみます。

 

 

相手がわるい目にあうことについて、喜びを感じるというのは、相手に対する興味関心があるということです。興味関心がなければ、どっちでもいい。どっちかというと、平和で幸せでいてほしい。自分のせいで困らせたりはしたくない。

誰かが困るというのは、周りの感情を完全に度外視すれば、わるい状況です。そしてその「周りとしての感情」を持つことが苦手な人からみても、たんにわるい状況です。そんなわるい状況、わざわざ作りたくはありません。

 

 

悪意とかいじわるとかの意図を前提として怒ったり指導したりするのは、

 

悪意とかいじわるとかの意図がなければ、その行動は避けることができる

 

という前提があるのだろうと思います。正直言って、避けられれば苦労はしません、という場面はとても多いです。

 

 

とくに「相手の感情を害することを避ける」件については、感情を害するポイントが異なる場合、非常に難しい。わたしもいまだに、しばしば失敗します。そして、自分とポイントが異なるため、考えてもわからない。相手が感情を害していると思い至るにも時間がかかる(最近は、反射的に謝るという技術を身につけました)。そもそも、悪意とかいじわるとかではないので、意図については誤解である(ので、何がどのようにわるいのか、どうすれば解決できるのか教えてほしい)旨伝えようとして、言い訳するなとよけい怒られる。

何をどうすれば解決できるのかわからず、誤解も解けず、どうしていいかわからなくなり、脳が「処理中」になってしまい固まってしまいさらに怒られる。

わりとよくあるケースです。

 

 

「悪意がない」という前提であずさの行動を観察していたら、やっと意図がわかった

と言われたことがあります。「ASDなので、他人が困っているのを喜べるほどには他人に興味がない」と繰り返して伝えて、理解してもらいました。

 

そう考える人が増えるといいな、と思っています。