それならあなたが授業しなさい!

たまには昔のASDエピソードを。小学生の頃の話です。

 

歴史、好きだったんですよね。マンガ日本の歴史という、20冊くらいのシリーズものがうちにありました。親に頼んで買ってもらったのか、頼まないけど教育目的に買ってこられたのかはおぼえていません。何度も読み返していました。で、小学校の図書室にある歴史本も片端から読んでいました。読み物になっているのは戦国自体の武将についてのものが多く、織田信長が大好きでした。(いまでも好きです)

歴史の授業で戦国時代を扱っていたときでした。授業を真面目に聞こうという気持ちはあったものの、知っていることばかりでしかもスピードが遅く退屈でした。そこで、社会の教科書を最初から読み返すことにしました。社会の勉強をしているんだから構わないだろう、というわけです。社会の時間ですから。

先生に怒られました。「真面目にやりなさい!」「真面目に勉強してます。教科書を読んでます」なぜ怒られているかわかりませんでした。「それならあなたが授業しなさい!」なぜそうなるのかさっぱりわかりませんでした。ただ、授業をしなさいと命じられていることだけはわかりました。「わかりました、いつですか」次の日の歴史の授業、ということになりました。ちょうど、織田信長の天下統一のあたりでした。「それなら任せてください」語りたいことはたくさんありましたので、ラッキー、と喜びました。聞いてるだけより絶対楽しいはずですし、わたしだったらもうちょっと楽しい授業ができるはずだという自負もあったので、クラスメイトを楽しませるよい機会だ、というわけで張り切りました。

家に帰って、明日歴史の授業をすることになった件を父親に報告しました。織田信長は父親も好きでしたので、父娘で喜びました。「授業するならクラスメイトを楽しませるだけでなくきちんと理解できるように、きちんと準備してから臨むように」

日頃から、「理解したということは他人に説明できることと同義である」と教えられていました。戦国時代について自分が理解できているという自信も、説明できる自信もありました。あとは、楽しめるエピソードや、教科書には書かれていないけれど理解を深めるのに役立ちそうな解説を盛り込み、時間通りに終わらせるべく組み立てるだけです。ふだんから、とくに織田信長については詳しかったので、皆にぜひとも知ってほしい織田信長のすばらしさについて語る絶好の機会であると、張り切りました。

次の日。授業は大成功でした。普段話さないクラスメイトからも「面白かった」「わかりやすかった」とほめてもらったので、目的は達成できたのだと思います。先生の機嫌は悪かったような気がします。授業をしろと言われたから授業をした、しかも面白くわかりやすい授業だったとよい評判を得た、で、百点満点のはずだ、というわけで、先生は今日何らかの(わたしとは関係ない)理由で機嫌が悪いのだろうという結論に至りました。

帰宅後、「面白かった、わかりやすかったと、クラスの皆からほめてもらった」と父親に報告しました。「範囲はカバーできたか、時間通りに終わったのか」という確認に「もちろん」と答え、父親にもほめてもらいました。「よくやった」先生の機嫌が悪かった件については、わたしの授業と関係ないと思っていたので、とくに報告しませんでした。

この授業は楽しかったので、のちのちまで「小学校時代のよい思い出」として記憶に残りました。

 

 

先生が期待していた行動は何だったのでしょう。どうも、謝罪が正解だったようですね。

 

「授業をしろと言われたわけだし、わたしも授業とかやってみたかったわけだし」「別にマンガとか読んでたわけじゃなくて、読んでたのは社会の教科書だし、授業の範囲についてテストされたら全問正解する自信はあったわけだし、全部知ってるならあらためて授業を聞かなくても、授業の目的はあらかじめ達成されているわけだし」

 

いまなら「正しい」というか、期待された行動が取れるかしら。あまり自信がありません。