コミュニケーションの作法2。上の句と下の句の組み合わせ。

前回に引き続き、ソーシャル・マジョリティ研究の復習・メモです。詳しくは本を読んでいただきたいんですけど、正直少々難しいと思いますので、だいたいのところを理解してから読むのもいいかなとか。(難しいと感じるのはわたしだけでしょうか)

 

ソーシャル・マジョリティ研究

ソーシャル・マジョリティ研究

 

 さて。今回は、

「なぜ宿題をやらなかったのか」

「試合を控えているため、部活が夜遅くまであったんです」

「理由を聞いてるんじゃない!」

というよくあるすれちがい? についてです。

 

だれかに向かって何かを言うとき、相手になにかしら期待してますよね。意図といってもいいでしょう。たとえば、あいさつしたらあいてもあいさつするだろうとか、何か頼んだら引き受けてくれるだろう(かひょっとしたら断られるかも)とか、質問したら返事が返ってくるだろうとか。あたりまえっぽいんですけど、なかなかそうもいかないのは、上記のとおりです。相手は自分に、どういうリアクションを求めているのか。これが問題になります。

 

上記の「なぜ宿題をやらなかったのか」についても、たとえばそれが担任の先生で、職員室で別の教師に相談しているとしたら、「(彼は)なぜ宿題をやらなかったのか」「部活がいそがしかったんじゃないかなあ」という会話になるかもしれません。これは、質問ですよね。同じような文章であっても、発言者の意図が違ったりするわけです。

 

そして、いま書いたのはことばによるやりとりですけれど、これって、ぜったいことばじゃないといけないかというと、そうでもないんです。これがまた、大問題でして。「おはようございます」に対して「おはようございます」とあいさつを返すのが基本として、会釈をするというあいさつも成り立ちますよね。会釈は、ことばじゃない。つまり、相手に対する期待は、かならずしもことばで表されるわけではないといえます。

 

というわけで、相手が言ったこと(ことば以外のジェスチャーなどを含む)には意図・期待があるから、その意図を読んで(!)意図に対する返事をしましょう、というのがこの話の要点です。

 

じゃあ、その意図はどうやって読み取るのか。多数派のひとたちは、「こういう場面ではこういう意図!」と、「自然に」学んで育つらしいんですよね。なんてこった。とはいっても、わたしにはそういう意図を自然に読み取る力は備わっていないとしても、意図を推測すべく神経をはりめぐらせれば、少しぐらいは誤解も避けられるかもしれないですよね。こういう、意図や期待の存在を想定すらしないよりずっとマシかと思います。

ちなみに、「こういう場面ではこういう意図」というのは文化ごとに違う可能性があります。だから、唯一絶対の普遍的な法則ではないわけです。ASDの人のなかには異文化コミュニケーションが得意な人がけっこうたくさんいる、というのは、日本文化的「こういう場面ではこういう意図」がインストールされてないからこそ、別の文化における「こういう場面ではこういう意図」をあらためて(多少なりとも)インストールすることが容易、ということかもしれません。

 

 

この話にはつづきがあります。一記事一話題で進めようかと思います。