コミュニケーションの作法。会話の順番。

ソーシャル・マジョリティ研究という本を読んでいました。ASDなど少数派からみた多数はコミュニケーションの特徴、みたいな本です。

それにそって、復習がてらコミュニケーション論みたいなものを書いていこうと思います。

 

 

 

で、わたしがよくやる「しゃべり続けて周りを怒らせる」問題について。

 

会話の順番についてはルールがあるのだそうです。

発言の区切りにたどりついたとして、

1)そこまでに次の話し手が指名されている→その人が次の話し手になる

2)指定がない→聞き手のうち最初に話し始めた人が次の話し手になる

3)1,2が起きない→最初の話し手が話し続けてもいい、そして、くりかえし

 

たとえば、「昨日の晩ごはんはカレーだったんだけど、けっこうおいしくできたんだよね。チョコレートが隠し味っていうけどほんとうだねえ」と言いたいとしましょう。

ここで、「きのうのば」とかで終わってはいけません。発言が区切りにたどり着いていません。ここで止めると周りが不安になります。同様に、「昨日の晩ごはんは」もいまいちですね。晩ごはんは、だからどうした。いちおう、何かしらの内容があってほしいところです。

そう考えると、「昨日の晩ごはんはカレーだった」というのが、主語と述語をかねそなえたそれなりの情報量を持っていそうなので、この直後が区切りとして適切でしょうか。ここで、たとえば発言者であるあずさが聞き手の一人である太郎くんにむかってうなずいてみせたとすると、太郎君が発言をひきとるかもしれません。しかし、ここはたいした区切りではないので、だれも次のセリフをひきとらないかもしれず、だれも次のセリフを語りはじめないからといって発言者あずさが黙ったままだと周りが困るので、この場合は発言者あずさは話し続けます。

次の区切りは、「けっこうおいしくできたんだよね。」ですね。「だけど」はいかにも次に何かが続きそうですけれど、この「だよね」は文章の終わりを示しています。発言が一段落したので、発言者あずさは太郎君に話を振ってもいいですし、だれか発言してくれないかなと、しばらく黙っていてかまいません。

 

ときどき、話に切れ目がない人というのがいます。句読点はありそうなんですけれど、間があかない。「あの、」とか、割って入ることができない。こういう語りは、聴いているとほんとに、自分が透明人間になった気がしてきます。相互干渉がないんですよね。上で言うところの、(1)(2)がまったく起きない。発言の区切りがない。他の人は登場できない。わたしに何か言わせろ、というわけじゃなくても、発言のチャンスが与えられないのはしんどいものがあります。

 

また、(2)って、宛先不明のボールが机の上に置かれた感じかと思うのですけれど、このボールを「わたしの!」みたいにがしっとつかんで離さないとそれはそれで周りを困惑させます。宛先不明のボールは宛先不明なので、といって誰もとらないと共用スペースにおかれたお土産のお菓子のラスト1個みたいな所在ない感じになってしまうので、ここは軽く受け取って軽くボールを戻しておくのがスムーズかと思ったりします。

さしすせそ、ってあるじゃないですか。さすがですね、しりませんでした、すばらしい、センスいいですね、そうだったんですか! でしたっけ。これも、一瞬ボールを受け取ってさらっとテーブルに戻す、けっこうかっこいいやり方なのかと思います。「だれもこのボールとらないの?」という気まずさとか、「わたしばっかりボールを独占している気がする」というもうしわけなさとかをキャンセルする方法ってわけですね。

 

なんかもう、こういうの読んでると、要するに発言するなってわけね、とか思っちゃうんですけど、そういうわけではないんだろうと頭ではわかっています、はい。