ありがとうはわかる、ごめんなさいはわからない?

自分で自分について不思議だったことがあります。「ありがとう」の意味および用法はとくに言語化の努力もせずだいたい正しくマスターしているのに対して、「ごめんなさい」は全力で言語化してやっと理解できる。

また、こういうのもあります:

ケース1 AさんがBさんを喜ばせようとして、Bさんが尊敬しているCさんにBさんの手柄について報告した。CさんはBさんをDさんの前でほめたので、Bさんは大いに喜び、DさんもBさんについて感心した。Aさんはこれを知り満足した。

これはわかるんです。口頭で言われてもオッケーです。

さて。

ケース2 AさんがBさんに腹を立てていたので、Bさんが尊敬しているCさんに、Bさんの失敗について報告した。CさんはBさんをDさんの前で叱ったので、Bさんは大いに落ち込んだ。DさんはそれをみてBさんはダメな人だなと思った。Aさんはこれを知り満足した。

・・・上と見比べながらなんとか書きました。書いててもよくわからなくなり、口頭で言われたら確実に混乱します。ストーリーが追いづらいです。

 

 

登場人物の数は同じですよね。起きていることもよく似ています。違いは、ケース1ではポジティブな感情、ケース2ではネガティブな感情が動いているということですよね。

ありがとう、というのはポジティブな感情のやりとりです。ごめんなさい、は、どちらかというとネガティブな感情のやりとりです。

 

ということは?

 

 

ここで思い出したことがあります。人間の表情を決めるのは、表情筋という顔の筋肉です。これね、笑顔をつくるには4つの筋肉を動かせば足りるのに対して、怒りの表情をつくるには20とかの筋肉が必要らしいんです。

4つの筋肉と20の筋肉。当然ながら、4つの筋肉でつくる表情は単純でしょうし、20の筋肉で作る表情は複雑でしょう。

 

ASDのこどもの表情認識力はあまり高くないといいます。わたしはそもそも他人の顔を見ないこどもでしたからなおさらのことです。このとき、笑顔は単純な表情ですから、わたしでも、なんとか習得できただろうと思います。しかし、怒りなどのネガティブな表情は、複雑すぎて読み取り・学習に失敗したのではなかろうかと思うのです。

感情の語彙を習得するには、身近な人の表情とことばをセットで学習する必要があります。うれしいとかのポジティブなな感情については、表情もわかりやすいしことばもあっさり習得、その感情と関連する感謝とかありがとうとかいうことばもとくにトラブルなく使えるようになった。その一方で、怒りとか悲しみとかのネガティブな感情については、表情が複雑すぎて読み取り・学習に失敗し、ことばもいまひとつわかっていないし、その感情に関連する言葉(たとえばごめんなさいとか)の習得がぜんぜんはかどらなかった、そう考えると、わたしに関してはなんとなく、すっきり説明がつくように思います。

 

実をいうと、わたし、好きはわかるけど嫌いもよくわからないんですよね・・・ 嫌いというのはあんまりなくって、避ける、しかないんです。嫌いな相手というより、可能な限り避ける相手になってしまって、そこに詳しい分類はありません。それもたぶん、この、ネガティブな表情/感情の習得に関わっているのだと思います。