謝罪とは何のことか。
謝罪って何でしょうね、と言うと、驚く人も多いと思います。しかし、わたしにはこの謝罪の意味が、長い間不明でした。知的障害というわけではないと思います。たぶん。
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感謝はわかるんです。相手が何か自分にとってよいことをしてくれた。喜んでいることを伝えたら、相手も、自分を喜ばせようという目的が達成されたことがわかって嬉しいに違いない。
これに対して謝罪は・・・? 自分が相手に対してわるいことをした。自分がわるいことをした旨相手に伝える・・・? 自明のことを相手に伝えて、だから?
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ここで、「抜けている」点がいくつかあります。
- 自分がわるいことをした、と認めていることは、かならずしも自明ではない(認めない人もいる)、よって言及・表明する価値がある
- 自分がわるいことをした、というのは、事実(たとえば皿を割った)だけではなく、相手の感情を害したことを含む
- 自分がわるいことをした、と認める行動(頭を下げるなど)をとることで、怒りの感情などが回復する人もいる
共通しているのは、「相手」の存在です。
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わたし(てるてる坊主側)が、誰かの皿を割ったという場面を考えてみます。
自分しか見えていない
→ 自分と皿は見えている、しかし相手が見えていない
→ 自分と皿と相手が見える
の順で、(わたしの場合)「発達」するようなのです。たぶん、定型のひとたちはここにタイムラグがない。しかしわたしにとっては、このタイムラグが大きい。正直なところ、この3つ目については、いまでも、意識していないと「抜けます」。皿の弁償はすみやかに行います。しかし、相手がどう思っているか、それに対するケアとして自分が何をすべきか、そもそも考えもしない、というか、考えられない。考えが足りないというのとはたぶんちょっと違います。ずいぶんあとになってインストールされたもののため時間とエネルギーを消費しないとそもそも像を結ばないという感じでしょうか。
たぶん、定型のひとは最初から自分と皿と相手が見えている。相手が見えていないのは、そもそも皿も自分も見えていない(=悪いと思っていない、皿についての責任をとる、つまり弁償する必要があると思っていない)と同義になってしまう。
わたしの場合、なんと皿までしか見えてなかったりするのです。
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さらには。
謝罪という儀式? により、相手が納得・満足する ということが理解できなかった、というものもあります。かろうじて相手が見えて、相手が自分のせいで感情を害してるということまでわかったとしても、それが「謝罪」という行動で解決しうるというのがどうしてもわからない。
その結果、「謝ってるんだから許してあげなさい!」がまったく理解できない。そして学校の先生に怒られたりする。何度もありました。謝ったから何なの? と、真面目な話、理解できなかったわけです。
さらにいうと、「許す」もよくわかりませんでした。これ、相手の感情ですよね。許したからどうなるの? という感じです。皿の弁償により「解決」するのがスジでは?
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だから許してくれとか言うつもりはありません。
いまは、自分が相手に何かしらの損害を与えたときには相手の感情も害している可能性が高く、謝罪という行動が相手の感情を回復させるために必要である、というところまでは理解しているので、なるべくすみやかに謝罪するようにはしています。
これね、まったく理解/納得していないのに形だけ謝罪することが、かえって「不誠実」「自己矛盾」に感じられてつらいという問題も含みます。この、(たぶんひとりよがり・自己都合の)「誠実」については、後日書きたいと思います。