自分が被害にあった場合の思考回路。

立場を逆にして、相手がわたし(ASD)の皿を割ったとしましょう。これがものすごくイメージしづらい。イメージしづらいことが、何かを意味している気がします。それはさておき。

「なぜ皿を割ったのか」

「ごめんなさい」

「いやそうじゃなくて、経緯を」

「ごめんなさい」

(腹が立ってきた)

 

ASDあるある、ではないでしょうか。このパターンからはじめようと思います。わかりやすくするために、話は極端にしておきますね。

 

 

まず、よくあるポイントその1として、「謝られても困る」があります。

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前々回からお伝えしているように、わたしの(てるてる坊主)の視野には自分と皿しか入っていない。ここで、「視野に入っていない」相手から謝られても、正直なところなんとも感じません。怒りがあったとして、それはなだめられない。

自分に何らかの感情が浮かんだとして、それと相手との関係があまりに希薄なため、謝られても何も解決しないのです。基本的には「自分と皿」の関係しかないので、かりに怒ったり悲しんだりしているとしたら、相手がどうこうではなく、皿が割れたことについて、つまり、皿の運命について、怒ったり悲しんだりしていると思います。

 

 

怒りがあったとして? そうなんです。腹が立たないことのほうが多いです。少なくとも、「故意だろう」とか推定して怒ることはまずないです。これは、わたしの特殊事情だと思います。

というのもわたしは、あまりに強固でエラーを認めることがしづらい自分的常識として、「他人に、故意に損害を与えてはならない」を持っています。そしてこれはナチュラルに、他人にも敷衍されている。当然、相手もこれを自分的常識としているはずだ、というのは、「相手も、空気を吸って生きているのだろう」というレベルの「当然」として信じています。信じて、ということばもたぶんあまり適切とはいえません。(これは、定型の人たちがいう自他境界とはたぶん違う問題だと思います。その件は後日)

なので、すべての「悪い事態」は、「事故」ということになります。いまはよほどであれば事故じゃないかもしれないと考えるかもしれません。でも、基本は「事故」です。

 

 

わたしの場合、自分的常識のため、故意を想定することがほぼ不可能で、ほぼ全ては事故として認定されます。まあ、そもそも、相手が目に入っていないので、故意も何も視界に入っていません。

また、かりに、皿に対して故意(この皿を割ってやろう)があると検出することができたとして、自分への故意(この皿を割って、怒らせてやろう/悲しませてやろう)が検出することができません。このため、皿を割るまでの経緯は気になるとしても(相手と皿との関係ですね)、相手の意図をたずねることも気にすることも「できない」のです。

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で、いずれにしても相手が見えていないので、故意とかどうでもいい。

 

 

故意とかどうでもいいので、自分と皿/相手と皿は気になっています。反射的に思うのが、「この件を解決する(たとえば、修理屋に持っていくとか、弁償するとか、見なかったことにするとか)こと」「次回同じことが起きないための予防策」を立案する必要がある、です。

わたしにとっては、この「解決」と「予防策」が重要です。それ以外どうでもいい。

 

というわけで、謝罪は、この「解決」「予防策」への取り組みを遅らせる「じゃま」「妨害」として認識されます。なので、謝罪を繰り返されるとイライラしてくる。謝罪はどうでもいいから、本題に移ろう、というわけです。

謝罪が繰り返される場合、「もしかして、解決や予防策を述べることを避けるために謝罪を繰り返して時間稼ぎをしているのではないか」「謝罪を繰り返せば本来の解決や予防策が不要になると信じている人達がいるよね、でもそれは困る」と、腹が立ってくることもあります。

これは、「故意に相手を傷つけてはならない」に対する違反というよりは、皿を割った側には「解決」「予防策」の話し合いに参加する義務があると考えるため、義務を放棄されると困る、という感覚です。

そう、たぶんわたしの特殊事情として、「義務の放棄は許されない」という自分的常識がありまして、たとえばこの「謝罪」の場面では、義務を放棄するだけの十分な理由が見つからないことのほうが多いので、何か理由があるのだろうと推定することは非常に難しく、その結果、「(当然)いますぐ義務を果たせ」と迫ることになります。

 

 

というわけでわたしから見ると、謝罪は意味をなさず、謝罪不要、どうしても謝罪したければなるべく短く終わらせて、この件の解決および再発予防作について話し合いたいわけです。後者が「皿を割った人」の義務ですから、目の前で義務を放棄されると、義務を強制する手段に出ます。

しかしこれ、相手から見るとどうでしょう。謝罪しても許してもらえない、いま一生懸命あやまっているのにむしろヒートアップする(というか最初は怒ってなかったのに怒りはじめる)、よくわからないが許してもらえない(じっさいには、解決と予防策について述べよと迫っているだけ)、ということになります。パワハラですね。

 

パワハラは本意ではないです。しかしこのパターン、部下ができたらやりそうで怖いです。