言わぬが花、の正体は?

隣の家の大学生が夜中まで音楽をかけていて迷惑だな、と思っているとしましょう。「夜中は静かにしてください」と言いました。でも効果なし。さて次の日。

「うちには、小さいこどもがいるんです」

と言いに行くのが定型の人だと聞きました。

「うちには、小さいこどもがいるんです。

 こどもには早寝早起きが必要です。

 なので、夜中は静かにしてください」

ではありません。後半2行は省略されてる。伝わらなかったら? でもやっぱり、2番めの言い方は登場せず、後日、「あの大学生、こどもがいるって言ったのに意味がわからないという顔をしていたわ」「それはしつけがなってないわね」という陰口が発生する。

 

それは言う側に問題があるのではないのか。伝え方がわるいから伝わってないのであって、よって、伝え方を工夫して伝わるようにすれば問題は解決に近づくのではないか。わたしはそう思うのですけれど、「そこまでいうのは」マナー違反なのだそうです。

 

 

部下が、3時に提出しなければならない書類を抱えているとして、2時半、悠長にコーヒーを飲んでいる。

「もう2時半だけど」と言うのがふつうで、「もう2時半だよ、あの書類は3時提出でしょう、終わったの?」とまでいうとパワハラに近づくのだそうです。わたし、いま、部下がいなくてよかったです。絶対、後者の言い方をする自信があります。

これについては、「もう2時半」と言われた瞬間に後半を察することができるという能力があるという期待を示しているのだそううです。察することができるという高い? 評価をしているよ、というメッセージ。2番めの言い方をすると、「ここまで言わないとわかんないだろ、お前は」という蔑みのメッセージになってしまうのだそうです。

 

 

「お母さんがなんで怒っているかわかる?」

わたし自身は、(じっさい毎回間違えたからだと思います)言われたことはほとんどありません。本では見たことがあります。これ、何かをやって怒られるのに加えて、その質問に間違った答えを返して怒られるという、本来の懲罰にさらに懲罰が加わるのではないかという恐怖を感じる状況でしかなかったのですけれど、ほんらいは違うのだそうですね。

「お母さんがなんで怒っているかわかる?」

「(何をしたか理解したうえで)ごめんなさい、もうしません」

「よしよし」

が正しいやりとりなのだそうです。なんてこった。「わかりません」と答えて火に油を注ぐ自分しか想像できない……

 

 

状況・文脈・コンテクストを「読めば」答えは自明なのだそうです。何がどのように自明なのか、こうやって例を聞いて文章にまとめても、これらの例以外に新しい例が加わったらたぶん間違った答えを出す自信があります。どうしましょう。

 

もうちょっというと、誤解が生じた場合、言った側の責任が100%ではぜんぜんなくて、言われた側の責任がかなり大きいということになっているのですね。テレパシーは、受信に失敗した側が責められる。なんか、社会生活を送る自信がなくなってきました。いままで怒られた場面を回想するに、このパターンは多そうです。