精神療法とは何かみたいなこと12。そのリスクはつねにある。

 医者患者関係は本質的に不平等だという考え方があります。考え方というより事実のようにも思います。

 わたし自身についていえば、患者さんには怒られるし注意されるし「くすりのんでません」とかあっけらかんと報告されるし、距離がおかしいという指摘もありましょうけれども、少なくとも、「文句など言わせない」などという強権政治をしいているわけではない、つもりです。これにしたって、正直「努力してやっとこれ」なので、本質的に不平等、そのとおり、ですね。なるべくフラットにとかいう方向性はよいとしてもです。

 先日、自分がまだまだ甘すぎるということに気付かされました。自分が何を言うかによってひょっとしたら病気扱いされて注射だ入院だという目にあわされる可能性があるなか安心してなんでもしゃべるとか無理だろう、当然のことではあります。これに対して「なんでもしゃべっていいって言ったし」なんていうのは、無邪気というか楽天的というか…… 無神経、かもしれません。

 

 

 いや、ふつうにしゃべってるよ? と思われるかたもいるでしょう。なんでもしゃべっていいっていわれてるし、じっさいそうしてるし。それもほんとうだと思います。しかし、それは、話題がある一定の範囲を超えない限りは安全であり、現状においては気を抜いてしゃべってもその範囲は超えないので安心してよい、という意味ではないでしょうか。

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  ときおり、「いろいろ思うことはあるけどぜったいにしゃべらない!」という強い意志をもった患者さんがいます。えっと、しゃべってもとくに悪いことは起きませんよ? と思ったり言ったりするんですけれど、これまでに図の右側に「うっかり」踏み込んでわるい目に(それが医学上必要であっても、患者さん本人からすると、です)あったことがあれば、警戒するのは当然ですよね。しかし、その人たちにぜひ報告してほしいのはその「危険」な内容だったりしますし、さらには、その「危険」な内容を安心して話せることこそが「精神療法」すなわち治療だったりもするわけです。

 

 

 図の左側の、考えつく限りのことをしゃべっても「安全」な人はいいとして、図の右側の、「うっかりすると入院だの何だのわるい目にあいそう」な人が、安心して話せるには何が必要でしょうか。信頼関係! とか言うのはかんたんですけど、この「信頼関係」とは何でしょうか。存在する危険をなかったことにして「怒らないから言ってごらん」的なだまし討ちとかは論外として、です。

 かといって、「なんでもしゃべっていい」と言ったからといって、「ききのがせない」ことはあります。それはさすがに、入院は必要だ、あるいは、注射が要る、くすりを増やすしかない、みたいなことです。これが存在するかぎり、不平等性はなくならない。いや、不平等性はどうやったってゼロにはならないとしても、それにしたって、患者さんの不自由さ・窮屈さがなくならない。

 だまし討ちはよくないと思います。たとえば入院が必要であると言い渡す可能性がある、これはなかったことにはできません。しかしそれでも、現状、とくに病気と関連しそうな事情については教えてほしい。そうじゃないと、治療にならない。ある程度は「見れば」わかることもありますけれど、何も聞かずに入院決定とかそれこそ強権発動にほかなりません。できれば避けたい。

 

 

 「そうは言ってもこの医者のすすめであればね」

 「この医者が言うのなら、ここはゆずってやろうか」

 何でも話していいと言ってみたり、(患者さんのためだからと)入院を勧めてみたりするわけなんですけれど、じつをいうと患者さんに「ゆずって」もらっているということは、多いのだと思います。「あーもう、しょうがねえな」みたいな感じで。もちろん、たとえば入院治療についてつらさを減らすこと、薬物治療について副作用ならびに不便さを最小限にとどめること、そういうことは大事なんですけれど、根本的なところで、どこか、患者さんの遠慮だとかあきらめだとか寛大さだとかに頼っているところがある。信頼関係を築いたもん、と主張するのは自由だけれど、それは患者さんに折れてもらっている部分のほうが大きい。平等だ対等だと感じているのは医者側だけ、気づいてないだけの可能性のほうがずっと高い。

 これはわたしの勝手な願いですけれど、そこで「しょうがねえな」と、自分を上に置いておいてほしいなと思います。許してやる、的な。どうやったって不平等で、入院して自由を制限するのは医者で制限されるのは患者さんだったりする事実は変わらないんですけれど、だからこそ、絶対的な弱者のポジションに身を置かないでほしいのです。なんだったらけんかを売ってくれて構いません。買います。たぶんそのほうが、病気は病気でも、すごく根本的なところで、健康さあるいは健全さみたいなものを、保ちやすいと信じています。