僕たちは発達障害を言い訳にしてはならない、の、言い訳、について。


「僕たちは発達障害を言い訳にしてはいけない」という記事、最近話題になってますよね。記事の内容はさておき、このフレーズ、雑だな、と思ったりするんです。本文を読め、はそうなんですけど、非常にインパクトのあるフレーズであり独り歩きしかねない(この点では、キャッチコピーとして優秀だともいえます)こと、本文を読まない人・読んでも内容を忘れる人が多いということを考えると、やっぱり、こういうタイトルは雑じゃないほうがいいかなと。

言い訳ってなんでしょうね。「それはほんとうかもしれないけど、この件と関係ないよね」という意味であると、わたしはとらえています。たとえば、わたしには聴覚過敏があります。一方で、学習障害はありません。聴覚過敏も学習障害も、「発達障害」によくある症状ですよね。


たとえば、わたしがこういう要求をしたとしましょう。
・外で工事をやっている間は、ノイズキャンセリングイヤホンを装着させてください
・計算は免除してください
前者はたぶん、「言い訳」ではないですよね。苦痛もそうですし、業務効率の問題もあります。配慮すべきだとまでは言わないけど、配慮していただけるとありがたいですし、言い訳とか言われるとぐさっときます。後者はもし、わたしがこれを「発達障害だから」とか言ったとしたら、これは言い訳だと思います(言いませんけどね)。計算をともなう作業をやりたくないからといって、(あんまり得意じゃないのは事実だとしても)そこで「発達障害」を持ち出してはいけない。

 

人それぞれとかケースバイケースとかいうことばはあんまり好きじゃないので使いたくなくって、なんて言えばいいのか表現を探しているところです。「発達障害だから」というフレーズそのものはくくりが大きすぎて使いづらいことが多い、というのは一因かと思います。

 

もう一つ例をあげますね。

・わたしは発達障害です。
・わたしは「発達障害だから」さかあがりがたぶん一生できないので、さかあがりの練習をこれ以上要求するのはやめていただけるとありがたいです。

発達障害=コミュニケーションの問題、と考えている人からは、「発達障害」という名前を出して関係ないことまで免除してほしいなんて言い訳だ、とか言われかねません。「発達障害を言い訳にしてはならないという立派な人もいる、先日ネットで見かけたぞ」とか怒られたらけっこう落ち込みそうです。


ことばを補うとこんな感じかしら。

発達障害のなかには、協調運動障害も含まれます。
・わたしには、協調運動障害があります。
・協調運動障害があると、さかあがりはまずできません。
・協調運動障害といっても多くの人は知りませんから、雑なんだけど発達障害ってまとめておきます。

ここまで説明すればわかってくれる人は増えるでしょう。しかし、最後まで聞いてくれる人は何人いるのかしらと不安でもあります。

 

さかあがりについては一生できない自信があるとはいえ、ものによっては他人の1万倍の努力をすればできるようになるかもしれなくって、それを「やればできる」に含めるかどうかは、また別の問題になりますね。他の犠牲を考えるとそれは「できない」と言っていいのか、1万倍の努力をしろというべきなのか。1万倍は極端だとして、10倍なら? 相手は3倍努力すればできるだろうと予測しているかもしれないけどたぶん1万倍の努力が必要だというとき、その「やってもできない」感覚に、「障害」ということばはなじむんですよね。でもこれ、努力はしないという宣言にも聞こえそうで、はためにわかりづらい「障害」であるがゆえに、なかなか理解されづらい気がします。

 

なるべく事態を正確に把握した上で、お互い歩み寄れるといいんですけどね。その際に、あんまり雑なことばは避けたほうが、話し合いは進みやすいかなとか思うのです。