アスペの論理/道徳その15 思考実験続き。アスペが定型を療育する?

アスペ98%の国に定形族が移住してきたため定形族の調査が行われました。そのレポートの続きです。

 

6)定形族に対する支援および療育の必要性

これまで示してきたように、定形族は多数派こそが正しいという誤った信念のもとに生活しており、コミュニケーションにおいては直観が主で言語が従、議論を好まず、問題解決には言語を用いず直観を用いて相手の希望を推測し先回りして叶えるあるいは黙殺するという習性をもつ。このような非論理性に加えて、定形族においては、自分より優れたものを何らかの手段で引きずり下ろすことが「人間」であるから仕方がないと許容されている。よって能力の高いものはその能力を隠すことにエネルギーを使わざるを得ず、したがって彼/彼女の才能が従十全に花開くことは期待しづらい。

以上から導かれるのは、定形族の若者はわれわれの学校で教育されるのが妥当であるという結論である。上記の通り、優秀な若者ほど定形族の隣人から迫害を受ける可能性が高いことを鑑み、定形族の子どもたちに学力試験を行った上でパイロットスタディとして男女各1名の生徒を選抜し、わが国の学校に編入することとした。

この子どもたちについて特記すべき点は、自尊心の低さである。彼らの能力に比してあまりに自尊心が低いため幼児期の虐待なども疑ったもののそのような事実はなく、ふたりとも両親には十分に愛されて育ったとのことであった。これからわれわれの国の方式で教育を受けるにあたり希望をたずねたところ、「普通になりたい」という回答を得た。普通=みんなと同じ とのことであった。みんなとは誰かという問いに対しては、みんなはみんなだし、と口ごもるようすを認めた。普通もみんなも曖昧模糊として意味不明なことばである。かりに「普通」が「平均的」というほどの意味だとして、このような優秀な子どもたちがその「平均」を目指すというのは由々しき事態である。面接を続けたところ、苦手科目をなくしたい、テストの点数がいいからっていばるなよと言われているのでもう目立ちたくない、とのことであった。これは、前項の「いじめ」(集団暴行)を連想させる発言として注目に値する。

この章の最初で述べたように、定形族においては、自らの優秀さを顕示することには危険が伴う。子どもの場合、顕示欲はなくとも自分の能力を全て隠し通すようなスマートさはのぞむべくもないし、そもそもそのようなものは子どもの成長にとって有益とはいえない。定形族の子どもたちについて、わが国の教育機関において適切な教育を施すことは急務であることが再確認された。ただし、文化のちがいがあまりに大きいため、言語の使用方法を含めてひとまずは特別支援学級においてサポートを行い、われわれのスタイルを身に着けてから普通学級に編入する形をとることとした。

特別支援学級における教育の目標は以下である。 

「ふつう」「みんな」などという雑な言葉で複数の人間をまとめるような態度をかたくいましめ、ひとりひとり異なる能力や異なる事情を持っていることをつねに念頭に置いて生活できるように折りに触れ指導する。衝突が生じた場合には議論すなわち言語と論理によってお互いが納得できる結論を探すことができるように、言語および論理を磨く。学校生活で直面する問題の一つ一つを議論で解決できるようになれば、普通学級への編入を認める予定である。