アスペの本質、みたいなこと。つづき。
アスペの本質はフィルタリング機能が弱いってことなんじゃないか、
って前回書きました。その続き。
フィルタリング機能が弱いってことは、
多くの人が処理できる情報量も
アスペには扱いきれない可能性があるってことかなと思うのです。
アスペの赤ちゃんには、人の顔は情報過多と感じられる
と、読んだことがあります。
人間の顔は情報過多だという件については、
大人であるわたし自身、実感するところです。
わたしが、人の顔をめったに見ていない一因でもあります(たぶん)。
お母さんなど、まわりの人の表情を観察する機会が少ないってことですよね。
感情・感覚についてのことばを学習するに際し、
赤ちゃんは、お母さん(など)の表情と言葉を照らしあわせるのだそうです。
表情だけじゃなくって声のトーンとか仕草とかもだけど、
やっぱり、表情は重要です。
お母さんの表情が読み取れないと、
感情や感覚についてのことばがしっくりこないらしいのです。
これもわたし自身心当たりがあります。
わたしは、語彙そのものは多いですし、文章の組み立ても正確な部類に属します。
つまり、日本語(母語)の扱いそのものは「上手い」わけです。
しかし、その一方で、自分の感情や感覚を表す言葉がうまく使えません。
みているものや考えていることの描写や説明は得意でも、
何を感じているか、特に自分がいまどう感じているのか、
ことばにできないことが非常に多いのです。
これは、親の愛情とは全然別の話だと思います。
わたしの母親は定型の女性で、わたしを愛情深く育ててくれました。
それでも、わたし自身の発達障害は、
だからといって「治る」「キャンセルされる」ものではないのですよね。
当時、発達障害の知識は全然一般的ではありませんでしたから、
両親はわたしを育てるにあたりかなり戸惑ったと思います。
「きちんと」育てようとしていたからなおさら、でしょうね。