視線に気づくということ。

自閉症現象学」という本を読んでいます。「自閉症スペクトラムの精神病理」も面白くはあるのですけれど、理論編としてはこっちのほうが読んでてわかりやすいようにも思います。珍しくノート取りながら読んでます。半分哲学書現象学)なのでさすがに用語で混乱するところもあり。勉強がてら、まとめを書いてみますね。絶対正しいとはいわないけど、大筋は外してないと思います。

 

第一章は、「視線に気づくということ」です。定型発達の子どもは生後すぐ(数十分!)で視線に気づくというのですけれど、自閉症のこどもではこの気づきがなかなか起こらないことがあります。

で、視線に気づくというのは、目すなわち眼球を認識することとは違います。知覚ではない。そもそも目は、たんに絵として認識するならただの丸ですよね。たんに眼球を認識するのではなく、相手から自分に向かってくるベクトル(みえないけど)を認識するという意味での「視線に気づく」を、以後、「視線触発」と呼びます。キーワード。

 

 

水には境界がありません。これ、ぜんぶ水ですよね。水を分けるには、仕切りが要ります。水を自分と他人であると考えましょう。仕切りがなければ、自分も他人も区別することが不可能です。というかある意味、自分という定義もなく他人という定義もないわけですから、(他と区切られた、正確な意味での)自分と(自分と区切られた、自分以外という意味での)他人はどっちも存在しないということにもなります。この仕切りの前提が、視線触発ということになります。

そうはいっても、水が凍って結晶を作るように、自他の区別とは違う、構造が生まれる可能性はあります。案外純粋な「美」だったりしてね。塩の結晶とかきれいだし。

 

 

水の中に方向性はありません。方向が出現するのは大事件です。この、「方向性の出現」=相手から自分に向かってくるベクトルの認識=視線触発は、一回起きるとなかったことにはできないといいます。

でもまだ単なるベクトル(矢印/方向性)ですから、仕切りには至っていません。仕切りの形成は第二章になります。

 

 

…… ここまでたどりつくのに5日くらいかかったんですけど、まとめてみるとわりと短いですね。いまのところ(2週間弱かけて)第2章が終わったところなので、まとめがてら少しずつ書いていこうかと思います。