アスペという診断について3 周りとくに養育者のための「診断」。

f:id:asph29:20180513093648p:plain

 

さて、アスペという診断は、周りのためでもあります。本人にとっての診断と共通なものも多いです。

まず、その子・その人に対して、どう接したらいいのか、どういう子育てが適しているのか、情報収集がしやすいことがあげられます。たとえば「自分のこどものころと明らかに違うし、お兄ちゃんともぜんぜん違う、この子、おんなじように育てていいんだろうか」という問いに答えることができる(可能性が高い)のは、きっといいことですよね。

ただし、本人についても「確定」診断が本来は不要であるように、周囲にとっても「確定」診断は、本質的には不要です。「お子さんには、これこれこのような特徴があります。本人はこういうことで困っていると推測されますので、接し方はこんな感じがよいのでは」で十分だったりします。「アスペと共通する点が多いので、育児書を探すならアスペ関連がいいかな」ってつけ加えてもいいかもしれません。

 

(生まれつきの)特性、と言うことで、育て方のせいだと信じて自分を責めている親御さんは気が軽くなるかもしれません。ただし、「そのように生んだ自分」を責める人も中にはいるので、親御さんのせいではないというのは強調する価値があるかな、と考えています。これも、診断名はほんとうは不要です。「生まれつき~という特徴のあるお子さんがいるんですけどね、これは、育て方とは関係ないんですよ」で十分だったりするはずです。

 

……本質的には、です。理論上は、と言ってもいいでしょう。実際には、本人の場合と同様、白黒はっきりさせたい人とか「アスペかどうかは保留としても、同じ対策が効果的かもよ」という理屈にとまどってしまう人とか、たくさんいます。親御さんはこどもが大事すぎて冷静になりづらいことも多いですし、保留の件はけっこう高度な論理的思考力を要するみたいなので、論理が得意なアスペ本人は納得しやすくても、そこまで得意じゃない親御さんは混乱する、といったケースもありそうです。その一方で、「障害」!!!ということで、たとえば過保護になったりできることまでできないと信じたり、ことばにこだわってしまう人も一定数います。

本人の場合と同様あるいはそれ以上に、医者(など)の説明能力(および、相手を見極める能力)が必要とされそうです。こどものことについては自分のことより熱心になり、育てるのは自分たちの責任だから今すぐ解決しなければと気負ってしまう親御さんは多いので、本人相手よりたいへんかもです。あずさは、小児科の先生をこころから尊敬しております。