アスペという診断について2 本人のための「診断」。

さて、アスペという診断について、3つの側面があるといいました。本人のため・周囲のため・役所のため、ですね。究極的には本人のためであるとはいえ、わけて考えたほうがわかりやすいと思います。

 

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本人のためというのは、

  • 本人が自分について理解して、問題の合理的な対策を立てられるようにする
  • 本人が、これまでのいろいろは自分の怠慢のせいじゃなかったと安心する
  • 本人が、今後どういう人生を送りたいか考える際の資料にする

といった意味です。まだあるかも。

問題の把握および解決の工夫、これは当然ながら非常に大事です。問題があるからこそ、アスペかどうかも気になるわけです。アスペだ、ということになれば、アスペ用の工夫(そのための本も多数ありますよね)が使える可能性は高いです。情報収集のキーワードでもありますよね。自分で気づいていなかった問題もあるかもです。(感覚過敏については、そのように考えたこともない=自分は普通だと思っていた、というケースが多いです。たとえば聴覚過敏があるとわかれば、工夫のしようもありますよね。わたしは、聴覚過敏という症状の存在を知ってから、やっとノイズキャンセリングイヤホンを買いました。たとえばそんなことです)

しかし、です。これ、アスペだという確定診断、不要なんですよね、実は。「アスペの傾向があるから、アスペと共通する問題を抱えている可能性が高い、だから、アスペについての本を読むなどして情報収集すれば、参考になるかもしれないよね」でじゅうぶんだったりします。だって、問題を解決することが目的でですよね?

ただし、納得は大事です。アスペは特に、「頭で納得する」ことで気持ちも楽になる傾向が強いのでなおさらです。これは、自分を過度に責めないことにもつながります。周りと「できないこと」があまりに違うために、やる気がないとか責められて自分でもそう思い込み、よけいに辛くなっているケースが多いからです。これもね、ほんとは、「確定」診断がなくても納得はできるはずなんですけどね。原理的には、です。

 

自分の人生をより過ごしやすいものにするとか、本来自分を責めなくていいことについて正しく認識するとかに関しては、「本質的には」確定診断は不要です。白黒はっきりさせたい人や、確定診断がなくても同じ工夫は有用であるという説明が納得できない人がたくさんいるので、医者の説明能力が問われるところでもあります。