あずさのこと。中学受験に受かったのは誰のおかげ?

小学校高学年のころ、わたしの住んでいた地域の中学校では校内暴力がはやっていました。それを耳にしたわたしは中学受験を決意したのでした。

中学受験の合格発表の日は平日でした。早く帰ってきた父親が見に行ってくれました。合格していたので、しばらくはいくらでもファミコンで遊んでいてよいということになりたいへんうれしかったです。

次の日登校して、担任に「中学受験受かってました」と報告に行きました。

「なぜ昨日のうちに来ないのですか」 

「きょう、つまり次の日、学校に来ることがわかっていたからです」 

「誰のおかげで受かったと思っているんですか」 

「わたしの努力と、塾の先生の指導と、両親の協力です」 

その後何を言われたか覚えていません。

聞かれたことに正直に答えたら怒られたわけです。何がいけないのかさっぱりわかりませんでした。何がいけないのかたずねても答えは返ってきませんでした。

家に帰って、父親にその件を報告しました。「それは先生が悪い。筋が通っているのはあずさのほうだ。なぜ怒っているのか説明しないのは言語道断である。なぜ怒っているのか明らかにせず怒っている人の言うことに従う必要はない。ただし説明する能力がない人もいるからそれは許してあげなさい」 父もアスペです。

社会的な正解は、謝った上で「先生のおかげです」と社交辞令を言う、だったんでしょうね。それを教わらなかったためにわたしのアスペは確かに加速しました。しかしその一方で、二次障害からは確実に護られていたとも思うのです。

アスペのわたしにとって、理屈がわからないまま事態が進行するのはとんでもない恐怖でした。わたしにもわかる「筋」を通してもらえたこと、わけのわからないまま従えとかいう圧力をかけられなかったこと(学校でかけられた圧力を取り除いてもらえたこと)はとてもありがたかったのでした。

「正解」ってわけではないんですよ。こんなことがありました、ってだけのことです。