アスペ的論理/道徳。あたりまえのことばかり。その1。

演繹(えんえき)しましょう。つまり、これはほんとうだよね、ってことから、いろんなことを考えて、広い範囲にあてはめることができる考えに変換する。こっちのほうがアスペになじむかなと思うので、少しお話してみたいと思います。きれいごととか正論(正しいけど実行不可能だろうというニュアンスね)とか言われがちですけど、それらを本気で実行できるのはアスペの特長、ですよね。

(演繹というのは、帰納法の反対です。帰納法は、世の中にちらばっている事実から、これはほんとうかな?という法則をみつけることです)

 

第一に。たぶんいちばんだいじなこと。自分で考えましょう。って、何のことかわからなそうなので解説します。正しい、って、ひとつじゃないよね、というおはなしです。

 

わたし、北海道に住んでいるんです。さて。目の前にかわいいキタキツネがいます。冬で雪がいっぱい積もっていて、たぶんこのキタキツネ、おなかがすいています。わたしはというと、さっき昼ごはんで食べ残したパンを持っています。食べかけだし、捨てようかなと思いつつ、食べ物を粗末にするのもな、と、迷っていたところでした。

キタキツネにパンをあげたい気がします。かわいいし。パンは捨てられる運命にあったのだから、役に立てるなら成仏?できそうですし。

その一方で、キツネは農家の人々にとっては、畑の作物を食い荒らすのでけっこう困ったやつです。野生のキツネがたまに現れるのは仕方ないかもしれないけど、人間によって余分に生き延びたり増えたりして畑の被害が増えるのは困ります。

でもキツネも生き物だし。かわいいし。パンももったいないし。

 

これね、何が正解、ではないんですよ。わたしは、パンをあげたら気分がいい。キツネにとってはパンはありがたい。パンもたぶん、無駄になりたくはない。でも、農家の人は、キツネが増えすぎたら困る。いろいろな人(人だけじゃないかも)の事情を考えて、「わたしが決めること」なんです。決めたことには責任を持ちましょう。パンをあげて農家の人に怒られたら、それは仕方ないので謝りましょう。どう考えても責任が取れないことは、やっぱりやめておきましょう。法律は優先したほうがよさそうですね。法律を優先したほうがいい理由はまた後日(たぶん)。

 

上にちらっと書いたんですけどね。自分の希望を含めることもお忘れなく。「正しさ」っていうと、客観性ばかりを追い求めがちなんですけどね、本気でつきつめると、だれかの希望であったりすることも多いんですよ。わたしたち自身も人間ですから、希望について考慮するだけの価値はじゅうぶんあります。他人と同じくらいの価値は認めましょう。それは、わがままでもなんでもありません。