アスペについての精神病理12。まずは多数派について。
前回、「まとめの図」を載せました。
多数派から話を始めたほうがわかりやすそうなのでこっちから話を進めます。
そもそも、赤ちゃんの段階で、「他人の視線を感じる」ことができるようなのです。たとえば目を合わせることができるとか、ほかの人が指さしているものを自分も一緒になって見ることができるとか。
他人の視線を常に感じることができるということは、見られている自分すなわち「他人から見た自分」を想定することにつながります。
「他人から見た自分」を意識するのであれば、「他人から見て感じのよい自分」を演出したくなりますよね。たとえば、自分だけでなく他人も快適に感じる距離をさがすことになるでしょう。そして適切な距離というのは、礼儀の基本でもあります。
また、「他人から見た自分」は、常識の習得にもつながります。肯定的なリアクションを得られる行動をとり、否定的なリアクションが返ってくる行動はひかえることになりますよね。それは、善悪から導かれた「正しい」行動とは関係がありません。一致するかもしれないし、しないかもしれない。「世の中そういうものだ」というやつです。
そして、この「他人から見た自分」を意識して自分の行動を調節するというのが、いつも取り上げられる「空気を読む」ということになります。
ちなみに、アスペの一部(わたしを含む)の人たちは、相手の感情は多少読めても行動が場違いで、相手がいらだつのがわかるのでよけいしんどい、という状況におちいりがちです。これね、自分が相手を見ることができても、他人から見た自分が意識しづらい、意識してもどうもぎこちない、ということなのかなと考えています。