アスペ的論理/道徳その4。君子豹変す。

「君子豹変す」という故事成語があります。君子=りっぱな人、ですね。豹変=いきなりがらっと変わる、です。現代では、「りっぱな人は、自分の考えが間違っていると気づいたらためらいなく訂正する」という意味に使われます。せっかくだからりっぱな人を見習って行動しましょう。

間違っていた、あるいは、間違ってはいないかもしれないけれどもっと優先すべきことがらをみつけてしまったので方針を変えるべきだ、そんなとき、あっさり認めて訂正したほうが、頭の片隅に「わたし、間違ってるような気がしなくもない」という疑いをちらつかせたままもともとの主張を続けるよりかっこいいですし、何より被害が少ないです。

自分で気づいたときはまだいいんです。問題は他人から指摘された場合です。これも、自分が100%間違っていたなんてことは少なくって、自分の意見も間違ってはいなかったけど、その視点は抜けていたので訂正したほうがいいよね、ということが多いかなと思います。こういうとき、ついつい、「それ、わたしだって気づいてたし」って言っちゃうのはわたしだけじゃないと思うのです。でもやっぱり気づいていなかったわけですから、気付いていたふりはやめましょう。アスペは特に、そのへんのごまかしが苦手なので、まず自分がしんどくなります。

このとき、相手に被害を与えていない限りは、謝る必要はありません。自分の考えが訂正を要するということは、それ自体では別に悪いことでもなんでもないからです。「ご指摘ありがとうございました。そのとおりですね。方針をもう一回検討したいと思います」でいいと思います。実際、彼/彼女のおかげで、よりよい考え(あるいは計画など)にたどりついたわけですから、お礼は言っておきましょう。(ちょっとイラッと来たり、訂正に忙しかったり、自分に腹を立てたりで、なかなかそこまで気がまわらないんですけどね)

考えを訂正するということは、たぶん、その考えに基づいた行動プランも変えるってことでもありますよね。誰かの指摘で考えを訂正することができた場合、ついついその場で行動プランも変えてその場で変更を発表しないといけない気になるんですけど、そこまで急がなくていい場合がほとんどです。方針をもう一回検討する、って上に書きました。これは社交辞令とかごまかしとかじゃなくって、文字通りもう一回検討するわけです。検討中に「やっぱりわたしが正しい」という結論に至ったら、こっそりもとに戻しておきましょう。

当たり前のことなんですけどね。これがなかなか実行できない。少なくともわたしには、いまだにむつかしいです。でもこっちのほうが断然かっこいいですし、話は早く進みます。スジも通っていますよね。トータルとしては、アスペ的にはこっちのほうが楽だとも思います。自己矛盾に敏感な人が多いので、自分の心の平安のためにも、スジは通しておいたほうがいい。

これも、「論理的であること」の一部です。わたしもこころがけますね。