あずさのこと。アスペ的言語習得。

あずさの、こどものころのエピソードを続けましょう。

 

いまでも母親がときどき持ち出すエピソードに、「漫画で、笑い声がケタケタ、と書いてあったからと、笑うときに文字通りケタケタと言っていた」というものがあります。目の前にいる人々の動作よりも漫画/文字/印刷物が優先されてしまうあたりがアスペっぽいなと思います。文字を優先するというよりも、目の前の人の動作その他がインストールされづらいといったほうが事実に近いかもしれません。

多くの人たちにおいては、嬉しいとかいうことばも、お母さんが笑っている→自分も笑う→そういう(自分の)状況および動作その他をまとめて「嬉しい」と呼ぶ、みたいに習得されるものだと思います。

これに対して、アスペの言語習得ってもうちょっと「外から、客観的に」行われる気がします。アスペは、母国語を外国語のようにして習得するのだそうです。お母さんが笑っている→笑っている理由は今日の炒めものがよくできたかららしい→そういうときの感情を指して「嬉しい」と呼ぶようだ、みたいな。これ、「自分の」じゃないんですよね。自分以外の人を観察して、それに名付けるという形で習得しています。

だから、自分(一人称)が笑う→笑うということば、ではなくって、漫画のキャラ(三人称)が笑う→笑う(笑い声)であり、漫画は目の前にいる人よりもそこに残るぶん安定して参照しやすいので教材(?)として適切であり選択されやすいのではないかと思います。

というわけでわたしと文字は非常になじみやすかったのでした。その結果、「難しい」言葉の習得も速く、幼稚園の頃にはポケットサイズのことわざ辞典を暗唱していました。英才教育でも何でもなくって、リズムが楽しかったのだと思います。それに、三人称的にことばを習得するというわたしにとっては、ことばに簡単も難しいもなかったのだろうと思うのです。普通の?こどもにとっては、自分の体験につながることばは簡単で、そうではないあるいはそれから遠いことばは難しい、それがアスペにとってはイコールだということなんじゃないかと思うのです。

もうちょっというと、自分の感情を言い表すのっていまだにすごく苦手です。やっぱり、一人称的にはことばを習得していないからだろうなと思います。