アスペ的論理/道徳その3。関係ないものは分けて考える。

わかる、というのは、「分ける」からきているんだそうですね。分解すれば理解できるのか、って、これも「解」の字が共通していたりします。分けさえすればわかるはずだ、というのには反対ですけれど、分けることで「わかる」に近づくことはたしかにあります。

 

とりあえず分けてみたいこと。

  • 論理的整合性(筋は通っているかどうか)
  • 普遍的道徳(他人には親切にしたほうがいいよね、とか)
  • 社会的ルール(法律とか校則とか社則とか、文字化されてないものもあるかも)
  • 誰にとっての利益不利益(わたしはいいけど彼はどうだろう?うちの猫は気の毒かも?)

すべてを分けて考えられるとずいぶん楽です。正誤/善悪/優劣などが一義的に決まることって少ないと思うのです。分けて考えて検討した上で、「だからどうする」を決めるのは、最終的には自分自身です。自分の行動ですから自分で考えて納得して決めたいですよね。

 

…わたし自身、長い間「で、正解はなんだろう?」って探していたんですよ。いろんなことについて。でも、どうやったって一義的には決まらないことが多くって、ずっともやもやしてました。科学技術系のことであれば(現時点での)正解は存在することが多いけどそれすら後日アップデートされかねません。哲学も勉強はしてみたけど、偉い人はたくさんいて、結局何がほんとうなんだ? とますます混乱したり。

自分で決めていいことって意外といっぱいあるんだな、と気づいたらずいぶん楽になったのでした。考えがいきづまったときには、「それはほんとうに、一義的に答えが出るような問いなのだろうか」と、前提を考え直すのもアリかもしれませんよ。どれもこれもほんとうだし、というときには、「自分で」「決める」必要すらあるかもしれません。それは客観を捨てて主観に走るということではなくって、客観をつきつめたらそうなる、ということなんだと思います。