ASDばかりの集団に属していた話。

いま思えばASDばかりだった、という集団に属していた時期があります。それぞれが「変わり者」を名乗っていました。変わり者レベルが高いほど偉い? といういま思えば謎の価値観が出回っていました。

ASDの抱える問題というのは、少なくとも一部は少数派であるというだけのことではないのか、というのは、この経験に基づいている気がします。

 

 

満場一致が「危険」と判定される集団でした。満場一致の場合、全員が間違っている可能性がある。同じ意見同士で盛り上がって間違った方向に暴走したら誰も止められない。理論上はそうですよね。誰でも間違う可能性はあるということは、全員が間違う可能性もある。

たまたま満場一致となると、集団外の定型発達とおぼしき人達に意見を求めたりしていました。軌道修正の可能性と、反省の機会を求めて。

 

 

他人に興味関心がないのが普通でした。嫉妬や足の引っ張り合いとかもなかったはずです。いや、あったのかもしれませんけれど、それは、「気持ちはわかるけどよろしくないこと」ではなく、「理解不能な嫌悪すべきもの、徹底的な非難を浴びてもしかたないもの、かりにそういう気持ちがあったとしても隠し通し自分の中で消化して消すべきもの」であったように思います。

 

 

集団への帰属意識はありました。その「変わり者」集団に属していることは明らかな名誉でした。そして、有事の際には集団を守るという決意はありました。ただ、それは、攻撃されればの話で、攻撃されない限りは(集団の外の人にも興味はないので)特に何もしないのが当然でした。

 

助け合いもありました。他人への興味関心がないけど助け合いはあるというのが、なんだか不思議な気もするんですけれど、惻隠の情みたいな感じでしょうか。惻隠の情というのは、たとえば目の前でこどもが池に落ちたらそのこどもが誰であろうと助けるよね、みたいなことです。仲間とかそういうのじゃなくても、困っている人がいれば助ける、それだけのこと。

 

他人への興味関心がないのである意味徹底して自己責任であったとは思います。しかし、自己責任ということばは使われませんでした。あたりまえすぎて言及する価値がなかったのかもしれません。自己責任ということばに含まれる、助けてやらないよ、という排除のニュアンスがなじまなかったのかもしれません。

 

 

リーダーが偉い、とかいうこともなかったです。リーダーという役割の人、というだけ。指示をする人がいて、指示に従う人がいる。そうじゃないと団体行動はとれませんものね。責任ぶんは尊敬されたかな。でもそれは、無条件に偉いとかではありませんでした。

 

 

多少美化しているかもしれません。まあそれは、年長者の特権ということにさせてください。わたしの人格形成にはものすごく寄与しました。社会性は減ったかもしれないけど、いま、ASDでありつつあまり悲観せず人生を送れているのは、この記憶のせいかもしれないと、考えたりします。