できないものはできないとあきらめる ーASDって治るんですか(3)
サリーアンの課題というテスト? があります。人の気持ちがわかるかどうか、相手の視点に立てるかどうか、のテストとされています。
① サリーとアンの二人が部屋の中で遊んでいます。
② サリーは自分の人形をカゴの中に入れて部屋を出ます。
③ サリーが出ていった後に、アンはカゴの中の人形を自分の箱の中に隠しま す。
④ 部屋に戻ってきたサリーは、もう一度人形で遊ぶためにどこを探すでしょう?
これ、発達障害について学び始めたときにみごとに間違えて、ショックを受けたのを今でも覚えています。「知能が正常でもこの簡単な問題に誤答する人がいるって書いてある。不思議な障害もあるものだ」「えっ、わたしのこと?」
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ASDの人が全員、こういう課題に誤答するわけではありません。わたしはおそらく極端なケースだと思います。
このサリーアンの課題は、いろいろな要素を含んでいます。わたしの場合は、3の文章(人形は箱の中に入っている)に反応してしているから、意味がわからなくなるようです。記憶には問題はないはずなんですけどね。
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最近読んだ本にこんな例がありました。
A「自分は有名になる、有名になってこそ名が残り人生に意味がある」
B(反対の意を遠回しに伝えるも伝わらず)
A「自分の父親は凡人で、有名にもならず名も残していない。彼の人生には意味がない」
B「有名にならない人にも有意義な人生を送った人はいるんじゃないの?」
A「凡人も、木を植えれば木は後世に残るし、意味のある人生だったと言えると思う」
AがASDの人で、Bが医者でした。B(医者)が何に疑問を抱いているのか、わたしはぜんぜん理解できないわけです。A、いいこと言うじゃん。
本を読み進めると、B(医者)はこの発言に違和感を持ったようです。論理的には合っている、しかし、会話の文脈には合っていないのだそうです。
模範解答? A「きれいごとを言っていても、名を残さなければ後世からみれば消えてて認識できないわけだからやっぱり意味ないですよね」 わたしは混乱しました。話の筋が見えない。模範解答、質問に答えてないじゃん。
20回くらい読んでやっと意味がわかりました。模範解答は、最初の文章(有名になってこそ名が残り人生に意味がある)に対する反論への返事だったのですね。
国語は得意だったんですよ。読書量も多いんですよ。でもこのありさまです。
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いい悪いはともかく、無理なんだと思います。修行では解決しない。あきらめました。わからないものはわからない。これをわかるように努力する暇があったら、得意分野についてあるいは精神医学について、学んだほうがよほどいい。
「知的障害の人から、話がわかりやすいと評価されるのは、前の前の文章を参照するみたいな複雑な話をしないからかもしれないね」
…… そうかもしれません。それでいいということにしよう、というか、それしかないな、と思う今日このごろです。