うっかりしゃべりすぎる件について。

ASDの特徴としてよくいわれるものに、「うっかりしゃべりすぎる」というものがあります。わたしもよくやります。気をつけすぎてしゃべらなくなることもあります。今度は何も言わなかったりします。これもこれで問題になります。あたりまえですね。

 

 

「うっかりしゃべりすぎる」ってなんなのでしょう。

一つは、相手の反応を見てない、ですよね。

 

 

じゃあ、なんで相手の反応を見てない、なんてことが起きるのか。

一つは、自分の話は相手が聞いているものと思いこんでいる。会話は、お互いの話を無条件で最後まで聴くものだ、ということに、疑問をもたない、です。

 

しかしこれ、実際に行われるのは、精神科の診察くらいです。

 

「時間がないとかの事情があるなら、言ってくれればいいのに」 わたしもそう思います。でも、なかなかそうならない。

 

「でも、さえぎるのはマナー違反って習った気がする」 そうなんですけどね。

「聞いている側が、相手の話をさえぎるようなことをわざわざ言うのはマナー違反」という決まりがあるようなんです。

 

聞いている側がさえぎってはいけない、しかし、話している側が話し続けると非難される。矛盾しているように見えます。解決策は?

 

 

多数派の人は、話している側が、「相手の反応を見る」ことで、話の長さなどを自発的に(というか、聞いている側から発信される非言語的メッセージに従って)変えているようなんですね。これ、自発的であればあるほど(話す側の)マナーに沿っていて、相手の反応がはっきりすればするほど、「話している側の」マナー違反に近づくようです。

「相手がはっきりさえぎらざるを得ないほどに話し続ける」のが、「話す側」の、マナー違反なのですね。

 

迷惑ならさえぎれよ、と、わたしは思います。しかし、いろいろ非難されるのもしんどいので、気をつけてはいます。わりと失敗します。相手が怒っていることくらいは感じ取れるからよけいしんどい。

 

 

もうひとつ。

 

ASDの人には、「根本的な理解にたどりついたほうがすっきりして快適である」人がいるように思います。全員かどうかはよくわかりません。

 

明治維新とは、を理解するには、江戸幕府から理解すべき、というか、日本史全部を理解したい! うつ病とは、を理解するのに、精神科の病気とはそもそも何であるのかを知りたいし、うつ病の概念の変遷も知りたい! みたいなことです。そもそも、とか、全体とか、そういうのが気になる。

 

いいんですけどね。勉強するには、この姿勢は大事だと思います。深い理解には不可欠の姿勢です。

 

しかしながら、現実的には、時間が足りないこともあります。わたしは精神科医ですから、うつ病について時間をかけるのはもちろんいいんですけど、日本史とか、知りたいと思った何もかもについて、そもそも、の背景からすべて勉強する時間はありません。

 

でね、これ、話すときにもそうなんです。

明治維新とは、を説明するには、江戸幕府とか日本史全体とかから始めないと」…… 事実かもしれないんですけど、でも、時間がないし、相手はそこまで求めていないかもしれません。

 

 

「○○さんってどういう患者さん?」という質問についても、「45歳男性、うつ病の患者さんで、かなり回復してきました」でいいのか、「45歳男性、うつ病です。会社員で、半年前に発症して4ヶ月前に受診、その時から休職しています。症状はこれこれで、処方はこれこれです。順調に回復して3ヶ月前に復職しました。あと半年薬を続けて終診とする、ということで合意を得ています」のほうがいいのか、時と場合によります。

 

相手の反応を見るのはたいへんなので、そっちにエネルギーを割くためには、「結論から話す」のが楽なようです。上の例でも、まあ、途中で話を終了するとしても、「45歳男性、うつ病です」までは言わせてもらえる。最低限の情報ですよね。

 

 

自発的に話を終わらせるのは難しいです。その超能力、わたしもほしいです。修行はしてます。わたしにとっては、まず結論、というのが、取り組みやすいです。