コミュニケーションの作法4。相手を「思いやる」。

適切な発言とは何を指すのでしょう。しゃべりすぎるかと思ったら何も言わない、なにかとバランスがわるいとわたしはしばしば怒られます。

 

いくつかルールがあるようです。本の内容には重複が多かったので、一部省略してお伝えします。

 

 

情報の量を適切に。

 

あたりまえだ、と思うでしょう。わたしもそう思います。しかし実際にはできていないため、そこかしこでトラブルを起こしています。

 

これは、相手が知っていることは省略して、知らないことを述べる、でも関係ないことは言うな、ということです。

たとえば、

今日はどうやってここまで来たのですか

家を出て地下鉄駅まで歩いて地下鉄なんとか線に乗り、地下鉄を降りてそれからバス停まで歩きどこどこ行きバスに乗って、バスから降りてここまで歩き、玄関を通って廊下を歩き、この部屋までたどり着きました。

 これはさすがに説明しすぎですね。全部事実だとしてもです。

 

ふつうは、

地下鉄とバスできました

ですよね。地下鉄駅まで歩くとか地下鉄駅では地下鉄に乗るなど、言わなくてもわかることは省略してよいのです。

 

これ、わたしはけっこうくどいとか言われるんですけど、相手がその情報を知っているかどうか推測せずにしゃべっているかもしれません。

 

別の例。

パンケーキおいしかったよ

通常、これで会話を始めると相手は混乱します。何のパンケーキ? いつ食べたのか。パンケーキの話題を出したのはどういう目的があってのことなのか。などなど。

そのいっぽうで、たとえばこれが、いっしょに喫茶店に行って自分はパンケーキ、相手はチーズケーキを食べた、そのあとであれば問題ありません。前提が共有されていますよね。どのパンケーキなのかは、わざわざ言わなくてもわかります。

このとき注目されているのは、自分の注文したパンケーキと相手の注文したチーズケーキ、の対比で、自分が表明すべきなのは自分のパンケーキについての意見ですからね。(前回の、権利の話です)

 

 

関連していることを強調して言いましょう

 

たとえば上記の「パンケーキおいしかったよ」について。

相手のチーズケーキと自分のパンケーキの比較ですから、これについてはパンケーキについてコメントするのが正しいです。

しかし、たとえば会社の休み時間に、おいしいお菓子が食べられる喫茶店についておしゃべりしているならば、パンケーキも大事ですけどどの喫茶店なのかがもっと大事ですね。話題は、喫茶店についてですから。

 

なんとか喫茶店はおすすめだよ、パンケーキおいしかった。

こんな感じかしら。

 

 

基本的に、簡潔に順序立てて話すに越したことはありません。ブログもです(!)。

 

 

相手にとって好ましい情報は最大限に、好ましくない情報は最小限に

 

前回の出した例に

彼ってかっこいいよね

そだね、でも、わたしは誰々のほうが好みだなあ

 

というのがありましたよね。正直彼のことはかっこいいとか思えないとして、「そだね」というのは最大限の譲歩といえます。言わないことは罪には問われない。そして、この「彼って」には、すべての人はきっと彼のことをかっこいいと思うはずだ! という信念が混ざっています。これも、「そだね」で、少なくとも否定しない。内心はどう思っているにせよ、です。

これに対して自分は誰々がかっこいいと思ってはいるのですけれど、これも、自分としては、全世界的に誰々はかっこいいと思われるに違いない、と実は思ってるのですけれども、「わたしは」と範囲をものすごく狭くして話しています。また、「好み」というのも個人の問題ですよね。かっこいい、は普遍的性質(のはず)ですけれど、好みというのは自分だけの事情。というわけで、わたしは彼はかっこよくないと思う、かっこいいのは誰々だ! という情報は最小限に留められているわけです。

 

 

わたしとしては、いろいろ「これはやらかした気がする」がありました。いかがでしょうか。こういうルールを教わらなくても身につけることができるのが多数派であるといわれると、そのすばらしさに驚嘆するばかりです。

わたしはこどものころ、周囲がみんなわたしより「あたまがいい」ように思えてなりませんでした。思えば、こういうコミュニケーション技術を、肌で覚えることができないものだから論理で対処しようとして、他人も論理で対処していると(誤って)信じてたんですよね。ASD検出ツールとして有名な(最近はそうでもないという論議はあるとはいえ)サリー・アンのテストだって、論理で解けないわけじゃないけど、多数派の人は論理では解いていない。

 

努力を放棄するとは言いません。がんばります。しかし、日暮れて道遠し… という感じです。