精神療法とは何かみたいなこと3。ふつうのことば?
「患者さんの症状について、
彼/彼女に対して失礼にならない、ふつうのことばで症状を説明し
おたがい納得できたならば、
その説明そのものが治療的である」
という意味の文章を読んだことがあります。
(ちょっと翻訳しました)
◆
ちょっと解説。
これ、主に統合失調症の患者さんの場合についてです。
(ほかの病気でもあてはまりますけれども)
だいたいですね、
他人に聞こえているものを幻聴だとか
他人が考えていることを妄想だとか
正直、失礼な話だと思うんです。
「もしも、わたしにだけ聞こえないってだけで、
その声なり音なりが実在していたらほんと申し訳ない」
とか思います。(なかなか賛同は得られないけど)
◆
自分で名前をつけている人の場合はそれを採用します。
意味については本人に教えてもらいます。
その名前がついた症状を、精神医学的に正確なことばになおすのは
こっちの仕事です。こっちでやります。
たとえばですけど
「考えすぎ傾向」「取り越し苦労系」「神経過敏体質」
みたいなことばを提案してみて、
相手の反応をうかがってることもあります。
ぴんとくれば、ピンときました、という反応が返ってきます。
なかでも「神経過敏体質」はわりとよく使います。
これ、ふつうのことばですよね。
多少は悪い意味も含まれているかもしれませんけれども
健康な人でもありうる話です。
そして、これならわたしにも想像ができる。
「神経過敏体質」について、わたしの解釈と患者さんの解釈は
だいたい一致するでしょう。
幻覚とか妄想とか、失礼であるというだけでなく、
なかなか、想像しづらいことがあります。
わたしにも想像できる言葉、つまり、ふつうのことばのほうがたぶん、
おたがい「わかった」「わかってもらえた」と思いやすいですよね。
◆
精神科の病気の多くは、症状そのもののつらさに加えて、
だれもわかってくれない!
というさみしさもつらいんじゃないかなと思うのです。
それに、症状について医者に報告するとして、
そもそもわかってもらえているんだろうかと毎回疑うのも
なんかしんどいですよね。たぶんですけれども。
一部ではあってもわかってくれたみたいだというのは
少しは、そのつらさをやわらげる方向にはたらくのかなと。
◆
ただし、被害妄想など本人にダメージを与えるものについては
それは現実ではないとはっきり告げたほうがダメージが少ない場合もありえます。
そういうときには、被害妄想(など)と名付けることを提案するかもしれません。
◆
かんたんそうに思えるでしょう。
才能のある人にはかんたんかな。
わたしにとってはけっこうむつかしいです。
患者さんの話をよく聴くことに加えて
これまで得た知識を総動員する必要があります。
ちなみに、この作業には、精神科の古い文献のほうが役立つように思います。
DSMより、ね。
◆
ふつうっぽいんですけれどもそれでも
ちょっとは専門性を発揮したつもりです。
もちろん心理士のひとたちにも、これができる人はいるんですけれども、
いまのところ少数派のように思うのです。
医者のほうが、この件については、
情報を得やすい(医学の古典のほうが使える)かなと考えています。
まだあるといいなあ。つづく?かもしれません。