上下関係、命令、組織。

昔話です。

先輩「なんで俺の言うこと聞けないの」
あずさ「言われた指示はすべて実行したではないですか」
先輩「全部いちいち理由を聞いたでしょ」
あずさ「聞きましたよ。納得してから実行したいですもの」
先輩「それ、言うこと聞いてるって言わないから!」

この先輩のことは尊敬していました。理由を聞いて納得できないということはなかったので、すべての指示をきちんと実行していました。

 

後日、別の人に言われました。

なぜ、という疑問文は、あなたのいうことは間違っている、という意味を含んでいますから。

言い方を工夫してもやはり同様であると返ってきたため、納得できないときにはどうすればいいのかたずねてみました。返事は返ってきませんでした。日本語および論理的思考が非常に不得手な人だったので、言語化がうまくいかなかったのかもしれません。

 

こんなこともありました。

看護師さん「(あずさにとっては目上の)◯◯先生は〜していました(よってあずさもそうすべきです)」

あずさ「◯◯先生のそのやりかたのどういう点が現在の状況においてベストだと考えられるのですか」

 返事はなく、後日、その看護師さんが「あずさは頑固で困ったやつだ」と言って回っていると耳にしました。2番めの例の医者からは、自分であれば「◯◯先生がそうしていたのですね、じゃあ私もそうしておきます」と答えるであろうという(その噂を受けての)コメントを頂くことになりました。

 

もちろん、職場カルチャーによるのでしょう。

ツイッターでこの話を出したところいろいろコメントで教えてもらえたので、頭の整理を兼ねて書いてみます。

一つ目の例において、先輩は自分の指示が実行されていることは認めています。あずさが理由ををたずねるのが問題となっています。

二つ目の話を考え合わせると、理由を尋ねたことが、「あなたの言うことは信用なりません」という不信感の表明であるととられた、ということなのでしょう。

三つ目の話からは、目上のひとがやることは、目下の者はすべて正しいとして自分の行動基準にすべきである、と、その看護師さんが考えていて、そしてそれはその看護師さんが例外というわけではなくおそらく常識の範疇である、ということがわかります。

 

要するに、目上の人の言うこと・やることはすべて正しいという前提のもとで行動せよ、ということのようです。少なくともオフィシャルには。

 

尊敬や敬意と、相手の言うことが「つねに」正しいということは異なるように思います。言っていることの何かが間違っているからって、その立場は揺らがないだろうと思うのですけれど、メンツに関わる、みたいな反応をするひとはときどきいますよね。

わたしがその場の意思決定において責任を取る立場にある場合、わたしが納得ないまま決定したことについて責任をとることは非常に難しくなりますし、関係者全員にとって納得しづらい事態を招く可能性が高いです。

責任ということばを字義通り(!)にとらえすぎだと言われたこともあります。しかし、少なくとも現場責任者としては、何かが起きたときには責任の一端を負わねばなりません。納得いかないまま行ったことの責任を取るのは非常に辛いですし、各方面に顔向けできません。

 

世の中こういう職場ばかりではないですし、現にわたしがいま勤めている職場では、理由を尋ねることは悪ではありません。とはいえ、です。組織・序列というものはそういうものだとも聞きます。わたしが10代のころ、「会社勤めは絶対無理」と観念したのはたぶん、これだったのでしょう。

こういう書き方をすると世の中のほうが間違っているように聞こえますよね。実際そうは思っているのですけれど、それでも、世の中はたいてい、このスタイルで回っているわけです。ひょっとして、みなさん、理由を明らかにするのが面倒なのかな、尋ねるのも面倒なら尋ねられるのもわずらわしくて、ということは何も言わずに実行することがものごとを円滑に進めて、かつ関係者がみんなハッピーであることにつながるということなのかしら。

 

何かがアスペとつながっていそうなのですけれど、アスペ云々より、この件について気分良く受容できるのはどういう人・どういう理屈なのかということのほうが気になっています。