アスペ的論理/道徳その19。用語の定義は厳密に。論理的って、何のこと?

自分は論理的ではない、という自己評価のひとをしばしば見かけます。謙遜はともかく、ほんとうにそう思っているひとのことです。

 

論理的、って、なんでしょうか。

・数学の証明問題が得意だ

・論理的な話を組み立てることができる

・他人の論理についていける

・自分の論理と他人の論理が食い違った場合、他人の論理が正しければ受け入れられる

・論理的な話をすることが嫌いではない

・論理的な話に納得した場合、その論理に従って行動できる

まだあるかもしれません。

 

わたしは、

・論理的な話に納得した場合、その論理に従って行動できる

ということが「論理的」の最重要ポイントだと思っています。論理的な話を組み立てることができるひとは全員、論理的な話に沿って行動できる、というわけでもないだろう、ということです。違う意見の人も、当然いるだろうと思います。

 

ちなみに整理すると、こんな感じかしら。(だいたい、ですよ)ベン図を組み合わせてみました。この図の中のどれを、論理的って呼びますか、ってことです。

アスペ的論理/道徳その7。図を描く。とくにベン図。 - 精神科医的ひとりごと(仮)

 

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わたしは、黄色部分を重視しているわけですね。斜線部分を指す人もいそうです。ちなみに補足説明。左側の重なりについて。

 

 

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これに加えて、

・自分の論理力?は、自分の理想に比べてじゅうぶんかどうか

というのもありますね。

上で書いたのは質の問題、理想と比べるのは量の問題と言い換えてもよさそうです。算数のテストで80点をとったとして、算数が得意だと自分で思うかどうかは時と場合と人によりますよね。本人の理想にもよります。そのテストが明らかにかんたんすぎたりけっこう難しかったり、ということにも関わりそうです。まわりと比べるかもしれませんね。クラスの他の子が全員20点なのか、全員100点なのか。自分以外全員100点だったら、自分のことを算数が得意だとは思えなさそうです。

 

「自分(彼/彼女)は論理的だ」と言った場合、その「論理的」ってなあに? ということが食い違っていると、それこそ論理的に間違った結論に達する可能性が高くなります。毎回定義を確認するというのも現実的ではないので、話がかみあわない(違和感を感じる)ときには確認する、というのがいいかもしれません。

 

ツイッターにおける、

@mokomokosantaro さんとのやりとりをベースにさせていただきました^_^ ありがとうございました!