精神科的内部事情。重要問題に限って結論が出ていない件について。

ちょっと話題を変えて、精神科そのものの話をしましょう。精神科、というよりは、精神医学のお話です。

 

実をいうと、精神医学というのは、科学というにはちょっと… という側面のある学問です。重要問題に限って、じつはぜんぜん結論が出ていないのです。その中には、ちょっと唖然とするような大問題が含まれます。

 

この件については、いろいろなことが関わっています。少しずつお話ししていくことになると思います。

大問題のひとつは、「統合失調症の原因は何か」です。結局、原因はさっぱりわかっていません。遺伝も多少は関わるようです。しかし、どう考えても、いわゆる遺伝病の定義にはあてはまりません。遺伝だけでは決まらないわけです。環境だけでも決まりません。まったく同じように育てられた子どもたちの、どちらかが統合失調症を発症し、もう片方がまったくそのようなようすはない、なんてこともよくあります。細菌?ウイルス?食べ物?いまのところ手がかりなしです。「これだ!」というものが見つかったら、たぶん、ノーベル賞は確実にもらえると思います。

 

原因は気にはなるものの、わたしたち医者が相手にするのは主に、すでに統合失調症を発症した人たちですから、原因がわからなくても診断および治療がしっかりしていればいいと考えることはできそうです。

 

ここで大問題が発生します。

いろいろな問題のなかで、統合失調症にかかわる最大の問題はたぶんこれです。

統合失調症とは、いまの症状で診断していいのか、しばらく経過観察しないと診断はできないのか、もし経過観察が必要だとすると何年かかるのか」

まさかこれが「まだ」議論されているとは! …ですよね。

これ、統合失調症という病気が発見されたときから現在に至るまで、偉い人たちの間でも論争がたえず、結論が出ていない問題なのです。「いまの症状も経過もよく観察して」診断する、といえばかっこうはつきそうですけれど、今の症状と経過の、どっちをどのくらい重視すべきかも、人によって考えが違ったりします。最近はDSMが世界中に広がっていますから、DSMの提唱する「いまの症状を重視する」方針がなんとなく広まりつつありますけれど、「いまの症状だけで診断はできる。経過は無視してよい」なんて証拠は現在のところどこにもありませんし、経過を完全に無視する医者はたぶん、超少数派です。すべての精神科医が納得するような結論というのは、出ていないのです。(わたしが不勉強なだけだったらごめんなさい。)

 

ここからみちびかれる具体的な問題のひとつは、「これまで精神科的な問題がまったくなかったひとが、統合失調症のような症状で病院に来た」というときに、このひとが統合失調症である、あるいは統合失調症ではない、と自信を持って言うにはいつまでかかるんだろう、ということです。「経過をみる」側の意見としては、再発を繰り返すのが定義ではあります。しかし最近は、よい薬がたくさんありますので、幸運なケースにおいては再発が「防がれてしまう」こともありえます。

統合失調症であろうとなかろうと、すみやかに元気になったのならばどっちでもいい、という考え方もあるでしょう。それも一理あるとはいえ、今後どのくらいの期間くすりをのみつづけるかどうか、精神的な不調のきざしがあらわれたときにどのくらいあわてて精神科を受診するべきか、といった将来的な問題にも関わってきますので、できるかぎり自信を持って診断したいと多くの医者は望んでいます。それなのに、わたしの腕の問題以前に、定義が少し?ゆるかったりするわけです。もちろん、ほとんどのケースにおいては、診断に多少迷うとしても方針は決まりますし、治療はしばらく続けるのがふつうですから、治療と並行して経過観察を行い、徐々に診断をせばめるという戦略をとればなんとかなります。それにしても、やっぱり、「まさか」ですよね。

 

この手の問題はいっぱいあるので、ときどきとりあげようかな、と思います。

 

注意事項)わたしの知識が足りなかったり、考え方が偏っていないつもりで偏っていることはあると思います。7割くらい信じていただければじゅうぶんすぎるくらいです。それでも、たとえば教科書を数冊読んだだけの人たちによる半端な情報が出回るよりは、正面切って取り上げたようがいいように思うのです。