親切にしてあげることと、罪悪感から相手に尽くすことの違いについて。

太郎くんが「精神状態の悪い自分が、3日間くらい寝込むかもしれない」と主張することで、自分の食べたいチーズケーキを花子ちゃんから奪ってしまうお話の続きです。

選択の自由とか自分をネタにした脅迫とか、自分の意志が行方不明になってしまうトリックとか。 - 精神科医的ひとりごと(仮)

隠された脅迫に応じてしまいやすい人の特徴。論理が自分の役に立たないケース。 - 精神科医的ひとりごと(仮)

選択の自由が奪われていることについての責任を、正しい場所に返すということ。 - 精神科医的ひとりごと(仮)

 

夕ごはんのあと、花子ちゃんはお兄さんに呼ばれました。お兄さんの話は、こんな内容でした;

A) チーズケーキをゆずらないともともと具合の悪い太郎くんの具合がさらに悪くなる、と言われてチーズケーキをゆずる

B) 太郎くんが具合悪そうだから、チーズケーキをゆずってあげることにする

この二つは、ぜんぜん違うというのです。もともとゆずってあげるつもりだった(B)としても、Aの言われ方をしたら、それはBではなくてAになる、と、お兄さんはつけ加えました。

 

Aは強制・脅迫。花子には選択の自由がないね。脅迫っていうのは、チーズケーキをゆずらないと殴る、というのと同じだよ。

殴るなんて言われたら、それは間違っていると花子ちゃんにもわかります。でも、それとこれとは違う気がする、首を傾げている花子ちゃんを見ながら、お兄さんは話を続けます。

チーズケーキをゆずらないと殴られる。チーズケーキをゆずらないと、花子は殴られて痛いね? チーズケーキをゆずらないと太郎くんが寝込むという。チーズケーキをゆずらなかったら、花子はどうなるだろう?

病人をたいせつにしないのは悪いことだし、申し訳なく思う、かな。

そういうのを罪悪感って呼ぶよね。悪いことをしたな、って申し訳なく思うこと。自分を責めるかもしれないね。花子はいい子だし優しいから、これを強く感じると思うんだ。で、これ、つらいよね?

花子ちゃんはうなずきました。

殴られて痛くてつらいのと、罪悪感で自分を責めてつらいのと、つらいって意味では同じだよね。チーズケーキをゆずらないと花子がつらい目に遭う、って意味では、同じことだろ?

それはわかったけど、でも、病気でも、なにもしてあげたらいけないの? 花子ちゃんは心配になってきました。

花子がそうしてあげたいと、太郎くんが何も言わないうちから思うんならかまわないよ。これは、チーズケーキをゆずらないと罪悪感で自分を責めるから、じゃないよね。チーズケーキをゆずってあげたい、ゆずってあげて太郎くんがはやく元気になってほしいからだよね。これなら、ゆずってあげたら、花子は気分がいいわけだ。自分のことをいい子だって思えるだろう? 実際いい子だしね。

親切なことは悪いことじゃないんだ。もちろんいいことだよ。ただ、強制にはノーと言ってほしいし、どうしてもノーと言いづらいときでも、自分が望んでいることと望んでいないことはちゃんと区別していてほしいんだ。ついでに言うと、自分を責めることは百害あって一利なし、だからね。

 

わかんなくなったら相談しなさい、と言って、お兄さんは話を終えました。