あずさのこと。勉強の価値と自尊心。

冗談で済むような話ばかりではありませんでした。アスペならでは、というだけではないかもしれないですけれども。

成績はよかったんですよ。いわゆる、国語算数理科社会、小学校4教科(中学校以降は、これに英語を加えて5教科ですね)については。地理には多少苦手意識はあったとはいえ、です。

でもね、これ、自尊心の向上にまったくと言っていいほど役立ちませんでした。まさか、って思う人もいるかもしれませんね。ひょっとしたら時代や地域によるところもあるかもしれないので、少し説明します。

ひとつには時代(地域含む)背景です。第二次産業から第三次産業への転換点でした。それはつまり、こどもたちの間でも、重要課題が勉強からコミュニケーションに移りつつあった時期でもあるわけです。しかし一方で、両親や学校の先生はそれまでの価値観をそのまま持っていて、彼らは大人社会で生きていますから、その価値観が訂正されるなど思ってもいない、そんな時代だったと思います。つまり、勉強ができる自分というより、勉強しかできない自分、という自己認識になってしまったわけです。小学校ではまだなんとかなりました。中学校では、周りの目が存在するということに気付いたから(これ、冗談じゃないんです。いずれ書くと思います。)だけではなくて、時代が進んだからでもありました。

もうひとつは、勉強以外、すなわち、体育/図工/家庭科に比べて、勉強は学校において、直接認識される機会が少なかったということが挙げられます。他の生徒はひょっとしたら認識していたのかもしれません。でも、わたしにはよくわかりませんでした。

体育は、走るのが早い子も球技で活躍する子も鉄棒が上手な子も、それぞれが注目の的です。以前述べたとおり、体育はほんとうにもうどうにもなりませんでしたから、ここでは自己評価は下がるばかりです。

図工については、わたし自身、絵などそこまで下手な方ではなかったと思います。しかし、コンクールで賞をとるみたいなことはついに一度もありませんでした。わりとよくできてるけどな、といまでも思う作品はあるんですけどね。「こどもらしさ」に欠けていたのが一因かな、と分析はしています。賞はほしいし、いろいろ工夫してみたのですけれども、ね。で、コンクールで一位とかとると、みんなの前で表彰されますよね。ひょっとしたら県庁とかに行ってそこで表彰されるかもしれません。

家庭科は…… いや、当時は家でもお菓子を作ったり刺繍にチャレンジしたりはしていたんですよ。だから、壊滅的にできないとかではありませんでした。しかし、なぜかミシンを壊す。3台続けて壊してしまって、家でやってこいと言われて家のミシンを使ったらそれも糸が絡まった、なんてことがありました。そのほか、全体的に、決して器用ではありませんでした。

ついでにいうと作文でも、一度だって賞をとったことはないんです。これも、作文なら賞をとれるんじゃないかとがんばってみたんですけど、ついにどうにもなりませんでした。

さて、ここまでくれば明らかかしら。勉強ができても、みんなの前でほめられることはまずないんです。成績が貼り出されるなんてこともなかったですし。そういう意味で、中学受験のために通っていた塾、ものすごく居心地がよかったです。だって、勉強ができたらほめてもらえるんですもの。貼り出されはしなかったですけれど、でも、みんなの前でほめられることはありました。あれは嬉しかったです。

ついでに言うと、賞にこだわる自分にも本気でうんざりしてました。賞が取れない上に賞にこだわるとか、かっこ悪くて仕方ない、みたいな感じです。考えすぎだよ、って、言ってやりたいですけどね。当時の自分に。

 

その結果どうなったかは、また後で書きます。