アスペの論理/道徳その13。思考実験つづき。

定型族レポート、続きです。アスペ98%の国に、定型発達の定形族が数十人移住してきて、彼らの思考などを理解するために研究班が設置された、という設定です。遊んでます。

 

3)定形族における言語・論理

定形族の使用する言語は、形式的にはわれわれと同じである。しかしながら、言語の厳密な運用および緻密な論理構成に慣れていない者が多く、有益な議論をするためには数時間〜数日にわたる指導を要した。以下、指導中に明らかとなった彼らの言語使用について記す。

最大の問題は、前述のとおり、多数派が正しいという非論理的な信念がひろく共有されていることである。「偉い人」が正しい、と変形されることもある。このことについて無自覚なものが大半であることも、われわれを驚かせた。

このことが、彼らの「日和見主義」すなわち言動における一貫性の欠如の原因となっていることは自明である。自分の考えよりも適切な考えがあればそちらに変更するのは当然であるとはいえ、自分の合わせていた「多数派」「偉い人」に合わせて言動を変えるというのはわれわれには理解しがたく、彼らの変節はわれわれを戸惑わせた。

また、意味があいまいな単語を複数使用して結果的にどの辞書を参照しようとも他言語には翻訳不可能な文で意思疎通をはかる傾向も認められた。当初は、その意味するところについて質問すると怒り出ししかも結局説明できないという現象も認められたものの、言語の厳密な運用に習熟する者も徐々に増えてきた。これについては、わが国における「多数派」に合わせることに決めたという可能性がある。

 

4)定形族における人間観

定形族は、相手に敵意を想定してコミュニケーションを始めると推定される。

たとえば、重要な話題についての議論を始める前に、その話題とまったく無関係な「軽い」話をすることが礼儀とされている。当然ながら本来の話題は遅れて始まり、意思決定にもよけいな時間がかかる。この無駄について気にする者は非常に少ない。

その「軽い」話題には、天気の話がしばしば選ばれる。定形族は天気に関心があるのではないかと多くの者にインタビューしたところ、特に関心はないという。関心がないにも関わらず天気について話す理由は、共通の話題であるからとのことであった。共通の話題というなら例えば職場における業務の話も該当するのではないかという質問に対しては、それは不躾であるという回答およびあいまいな微笑が得られている。ちなみにこのあいまいな微笑は、「その件については言語化できません」という意味であるらしい。

本題と無関係な話で議論を始めるだけではなく、公に設定された場(会議やディベートなど)以外で議論を始めることを、「喧嘩」であるとして忌避する傾向も認められた。これは、彼らの間での議論だけではなく、われわれが行う議論についてもあてはまり、ただの議論に対して、喧嘩が始まったのではないかと怯えるようすが認められた。議論なしに合意に至る方法は、彼らの非言語的「理解」と推定された。これでは合理的な結論に至る可能性は非常に低い。しかし、彼らの、多数派こそが正しいという信念を鑑みるに、これはこれで筋は通っているのであろう。彼らに友好的な議論の習慣を持ち込むことは、われわれの指導のなかでも最も困難なプロジェクトのひとつであった。

この「敵意」を否定する一つの方法は「目を見る」ことであるという。目を見て話す者は信用できるという迷信がひろく信じられている。彼らの一部は、話題について聞くことやメモをとること、考えることよりも相手の目を見ること、うなずくことや身を乗り出すことで「信頼を得る」ことを重視していた。われわれの指導により、それらの身振りと話の内容は無関係であるという事実が広まりつつあるため、今後は話し合いもより効率的かつ実りあるものとなるであろう。

 

その1はこちら↓

asph29.hatenablog.com