アスペについての「よくわからないフレーズ」についての、あずさの見解。

アスペについて、最近はインターネットで専門用語がかんたんに参照できることもあり、わかりづらいことばが誤解されたまま出回っているケースが多いように思います。わたし自身も誤解したりよくわからなかったりしていました。いまも、絶対に100%正しいとは言い切れません。

わたしの勉強不足/知識不足であるにすぎず、わたし以外のだれもが正しい理解にたどり着いているのかもしれません。仮にそうだとしても、自分自身の知識の整理のために、ありがちな【謎定義】について、わたしの理解を少し書いてみます。教科書や定義集に書いてある文言は、わたしにとっては難しすぎるので…

 

アスペには共感能力がない。人間味のない、冷たくて残酷なやつだ。

感情を直感で感じ取りしかもその感情に自動的に反応してしまう、という意味の共感はしづらいです。しかしこれは、他人の気持ちがわからない冷たいやつだという意味ではありません。他人の気持ちは、ある程度は推論できます。また、推論などに基づいて、親切にとか公平にとかふるまうこともできます。「一般的な善」に杓子定規に従うことが多いとはいえ、少なくとも、冷たくて残酷だという非難は、一律にはあてはまらないように思います。

 

(社会的)想像力という大事なものが欠けている欠陥人間である。

たとえばりんごならりんごを頭に思い浮かべるという意味での「想像力」の障害ではありません。また、他人の気持ちを、たとえば言葉で説明することができないという意味でもありません。ファンタジーも楽しめますし、小説も楽しめます。(20歳くらいまで、恋愛小説が一切理解できなかったという事実はさておかせてください)
同調圧力を感じ取って、その場で期待されている振る舞いを選択する能力が低い、(よってしばしば場違いな行動をとる)というのが一番わかりやすそうです。空気が読めないというのも同じ意味だと思います。

 

他人の気持ちがわからないとんでもないやつだ。

他人の意図がわからない、のほうが近い気がします。
相手が自分をどうこうしようと思っているかもしれない、そういう前提がスパッと抜けているのです。そのため、悪意や善意、偽善、嫉妬、すべていまひとつピンときていません。
たとえば。
羨望、はわかるんです。これは、自分の状態ですよね。相手について「いいなー」と思ってはいる。しかし、相手をどうこうしようとは思っていない。
嫉妬、はわからない。これは、うらやましい、に加えて、相手に危害を加えたい気持ちが入ってきますよね。この、相手をどうこう、という気持ちが、かなり一生懸命考えないと想像できないのです。

 

理屈っぽい、うるさい、なぜそこまでことばにこだわる。

理屈と納得を重視します。いったん腑に落ちれば引き下がります。
「不明な点を残したまま」何かを実行するのがものすごく怖いのです。何か根本的なルール違反をおかすのではないかという恐怖にとらえられてしまいます。また、「納得できるはずだ」という信念を抱いています。「仕方ない」とあきらめることが非常に難しいのです。納得できないまま何かを強要された場合、身体に症状が出かねないくらいのダメージを受けます。

理屈と納得は基本的にはことばでなりたっています。幼少時より、疑問を感じるたびに自分の周りの世界を言葉で記述して納得いくまで考えて法則なりパターンなりを見つけ出すことを繰り返してきました。なので、たとえばわたしの世界は、ある意味、ことばでうめつくされています。どう考えてもことばにできないものがそこに入り込むと、消しがたい違和感があるんですよね。

 

自分と他人との境界が不確かとか他人を他人と思っていないとかって?

他人を、「絶対に永遠に、100%わかりあうことはできない存在」としては認識していないという意味です。(これ、厳密な意味での、他人の意味です)知識としては知っていても、瞬間的に取り出せるほど「身について」いません。
「絶対に永遠に、100%わかりあうことはできない存在」ではない、ということは、ひょっとしたら完全にわかりあえてしまうかもしれないということと同義です。100%完全にわかりあえてしまうのはすでに他人ではない、と、哲学などではいいますね。