アスペについての精神病理8。納得できる・納得したい。

アスペについての精神病理7。他人のいない世界というのはどういうこと? - 精神科医的ひとりごと(仮)

のつづきです。納得へのこだわり、ですね。自分で考えて納得してはじめて行動できる、自分の言葉で納得できるまで考え続ける、みたいなことの根底にあるシステム?のお話です。たとえば、たんに公式をあてはめて数学の問題を解くことに違和感を持つ、というのが典型例かと思います。わたしにとっては大事なところなので、重複をいとわず書くことにします。

 

さて、多数派の世界から。

永遠に絶対にわからない他人、というものが存在しています。これのおおもとは、

  • 視線を感じたときに「見る側」「見られる側」が他人だよね、と納得すること
  • (なぜか)他人の感情や行動をだいたい予測できるがゆえに実際の行動とのギャップがどうしても埋められないことにしみじみ気づいてしまう

の2点でした。

つまり、マイワールド内に、不明エリアがあるわけです。マイワールド内には他人がいて、他人は永遠にわからない、ということは、他人エリアは少なくとも、永遠にわからない、ということですよね。

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さて。ここで、謎に直面したとします。なんだっていいです。納得しづらいこと、たとえば、この公式をこの問題にあてはめるのはなぜなんだ、みたいなことです。

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そもそも謎のエリアは存在するわけですから、謎のエリアにもう一つ謎が増えたところで、まあ仕方ないかな、と見過ごす・あきらめることができると予想されます。

 

これに対してあずさの場合。

他人が見えていないというか、他人が永遠に絶対にわからないという事実に気づいていないというか、いずれにしても、多数派のような「不明エリア」は存在しません。何もかもわかるというわけではないんですけど、納得・理解しようとすればできるんだろうな、とぼんやりながら信じているような感じでしょうか。

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ということは、です。謎が発生した場合の違和感はかなり強いということになります。永遠に絶対にわからない不明エリアがないので、納得できない事実が目の前にあることが許せない。ぜひとも納得したいわけです。

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というわけで、全力で説明を試みることになります。

 

これ、この「アスペについての精神病理」シリーズの存在理由かもしれません。けっこう難しい本もベースにしているんです。そこまで努力して理解する必要はほんとうはないんですけど、なんとか「ストーリーをつなげたい」=自分のなかで納得したい、わけです。

たぶん、悪いことだとか欠損だとかととらえる必要はかならずしもないんだと思います。少なくとも、わたしがこれまでいろいろ勉強するにはこのこだわりは役立ちましたし、目的によっては非常に有効に働きうると思うのです。

どうやったら有効に働くんだろう、という一般的戦略?がほしいところです。それこそ、納得できる形で明文化したいなと思っています。