アスペについての精神病理。頭の整理をかねて。あずさ自身を症例として。

精神病理というのは、それぞれの病気の症状がどういうわけで形成されてきたのかを考える学問です。昨今、残念ながらあんまり流行りません。なにがどのようにとかどうでもいいから現在の症状を分類して治療すればいいじゃん、という「現実的」な主張と相容れないのです。

そんななか、わたしは依然として精神病理が大好きなのです。体力その他が許せば大学院で論文を書きたいレベルで。(ほんとうはそのつもりだったんですけど、病気しまして…その話は後日)

 

現時点における、わたしの考える「アスペについての精神病理」について少し書いておきます。文献(教科書)およびわたし自身の体験にもとづいています。まだ、絶対の正解はない分野です。精神病理って、一人の患者さんについての研究からスタートすることが多いですから、わたし自身の経験を含めるのも、反則にはならないでしょう。

 

さて。

アスペのこどもの特徴の一つが、「視線が合わない」です。これ、視線を感じることができない、だと思うのです。他人が自分を見ているということがわからない。もっというと、自分を見ている他人がいるという意識がすごく薄い。他人がいるのはわかっているのです。でも、他人が、自分について何か考えたり、自分をどうこうしようと思っているということがピンとこない。他人が、それぞれの意思を持ちそれに従って行動しているということも、たぶんあんまりわかっていない。

 

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自分に対してどうこう、ということがわかってこそ、他人がそれぞれほかの人に対してどうこう、ということがわかるんだと思うのです。自分に対してどうこう、がわからなければ、他人一般のことなどたぶんわからないでしょう。

 

サリーアンのテストでさらっと不正解になるのは、これが原因かなと思います。また、空気が読めないことも、これで説明できるのではないでしょうか。

他人の状態はなんとなくわかる。楽しいとか悲しいとか嬉しいとかですね。にもかかわらず、だからどうしたい、というのがさっぱりわからない。自分に何を期待しているのかもわからない。自分に何かを期待しているのかもしれないと思いつくことことすら、意識しないと難しい。

 

さて。そういう、自分を見ている他人、自分について何か考えたり自分をどうこうしようと思っている他人、というものに気づくのが、アスペのこどもたちでは10歳前後だといわれています(多数派では、1歳までには気付いています)。わたし自身も、たぶん、小学校高学年から中学生くらいに気づきました。

わたしのこども時代における、アスペならではの「笑える」エピソードは小学生までです。中学生以降のエピソードは深刻すぎてまだ紹介できていません。この差は、わたしが「他人」の存在を認識したかどうかによるものだと考えています。

他人が自分に何を期待しているか、という問いを立てること、その問いに答えることが難しいというのは、学習が決定的に不十分(ひょっとしたら遅すぎて非常に非効率)ということなのではないかと思います。

 

もう一度、幼いころに戻りましょう。

自分についてどうこうしようと思っている他人の存在が認識できていないというのは、自分の周りで起きていることに、半分参加しつつ半分参加していないことにつながります。舞台を見ている観客みたいなところがあるわけです。

お母さんが暑いねと言っていることでそうか暑いんだとこどもも納得する、泣いていたら悲しいねとお母さんが言ったので自分はいま悲しいんだなとこどもが自分の状態に名前をつける。幼いこどもは、母親(養育者)と一体化というかごっちゃになって、自分の状態や感情に名前をつける=言葉を学びます。これが、アスペのこどもでは往々にしてうまくいかない。悲しいねとお母さんが言っている、以上!なわけです。

 

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わたしは、語彙そのものは多いのですけれど、自分の感情をいいあらわすのが苦手です。いまでも、自分がどう感じているかは喜怒哀楽レベル以上には説明できないことがしばしばあります。その一方で、「難しい」はずのことばをあやつるのは昔から得意でした。どのことばだって他人事のように習得しているのだから、「難しい」言葉もかんたんなことばも、わたしにとっては同じレベルの難しさでしかなかったのです。

あずさのこと。アスペ的言語習得。 - 精神科医的ひとりごと(仮)

 

ただし、この、他人事みたいな姿勢というのは、つまりは「雑音」抜きにものごとの理屈やパターンをみいだすちからにつながるようにも思うのです。少なくとも、わたしについてはつながっていると思います。

 

ひとまずこんな感じかしら。下記のブログおよび@hyogokurumi 氏のツイッターに触発されて書きました。ありがとうございました^_^

【前編】発達障害の発症原因について考える――後天性は深層意識に潜む中毒か - HyogoKurumi.Scribble

【後編】発達障害の発症原因について考える――後天性は深層意識に潜む中毒か - HyogoKurumi.Scribble