アスペであろうとなかろうと、という合理的配慮。

合理的配慮って、最近ときどきみかける単語ですよね。思うことはいくつかあります。

 

わたし、職場でアスペはオープンにしています。でも、「だから」何かを免除されているというわけではありません。「社会常識に欠けているところがあり、察することがものすごく苦手なので、何か問題がある場合はなるべくはっきりとことばで指摘していただけると助かります」とはお願いしてあります。実際ときどき言ってくださる方がいるのでたいへん感謝しております。「あずさはアスペです」ということをオープンにしたことは、これをお願いするうえで役に立っていると思います。

免除されるとちょっと悔しいです。少なくともチャンスはほしいです。たとえば、「人付き合いが苦手なんだから会議はいっさい出なくていい」と言われたらショックです。出てみないとわからないでしょう。出てみてものすごく疲れてその他の業務が一切できなくなるのであれば、対策は必要でしょうけれど。

その一方で、「レクリエーションでバレーボールをやるから参加しなさい」は憂鬱です。もうどうしようもなく苦手なので、できれば「できない」ということを信じてほしいです。もし信じられないのであれば、それはそれで仕方ないので、一回は出てみますけれど、そこでどうにもならなかったらやっぱり、それ以降は免除してもらえるといいな、と思います。

 

これって、アスペがあってもなくても同じですよね。どうしようもなく苦手なことは、無理してやるより他の得意なことをやったほうがいい。営業が得意な人は営業部に行けばいいし、経理が得意な人は経理で働けばいい。(経理が得意な人が一人もいなかったらこれは相談が必要ですね)バレーボールが苦手でしかも大嫌いな人は、申し出て免除してもらえばいいわけです。得意と苦手、程度がありますから、もしもバレーボールを免除してほしい人がたくさんいる場合、誰の希望を採用?するか、そもそもそのバレーボールは必要なのか、考えてみる価値はありそうです。でもこれ、アスペ関係ない。

「合理的」ってそういうことかなと思います。障害があろうとなかろうと、同じポリシーで行きましょう、ということ。

 

これに、アスペは「まさか」ということが「まさか」というレベルでできないことがしばしばあるので、信じてもらえると助かるなあ、というのをつけ加えられると最高です。はんだ付けができるのにちょうちょ結びができない、難しい本を1時間で読み終わったのにカーディガンは裏返し、どっちもあずさの小学生時代です。でもね、あずさの側からみると、「なんでこの本を読むのに1週間かかってるの?」とか思ってるかもしれませんよね。実際思っていたので、そのまま言ってトラブルになったことも何度もあります。「自分ができることは他人も当然できる、というのは思い込みに過ぎないかもよ」というのは、アスペであろうとなかろうと、心のすみに置いておくと、人生を楽に生きていけそうな気がしています。

 

をこさん@sakashira9 ありがとうございました!