アスペ的論理/道徳その8。わかってくれない!どうしてくれよう?

このシリーズの第5回、「答えを出すにはどうしたらいいだろう?」の応用編です。

 

さて、論理的に考える能力を鍛えて、きちんと結論を出したとしましょう。自分は納得しました。よしよし。で、上司なり同僚なり友人なりにその考えを話しました。

「わからない」と言われてしまいました。筋道にそって、こんなにわかりやすく話したのに!! です。難しい言葉は使った覚えはないし、論理の破綻はないはずだし、一体何なんでしょうね。

ここで腹を立てる人がいっぱいいます。一生懸命考えてわかりやすく説明して、それなのに「わからない」とか、確かに腹が立つかもしれませんね。

 

しかし、です。

わかってほしいんですよね?

わかんない、という相手に怒っても無駄です。怒ったからといって、それで相手が「わかるようになる」可能性はゼロに限りなく近いです。たとえば相手の語彙が足らなくてこちらのことばが理解できないとしましょう。怒っても語彙は増えません。語彙をいますぐ増やす方法はたぶん存在しません。

わかってもらいたいのならばわかってもらえる工夫をする必要があります。余裕がある側(つまりこっち側)が配慮するほうが効率がいいですよね。言い換えるか図などを描いてビジュアル化するとか、細部を省略して短くするとか、できることはいろいろあります。

何がわからないか相手が教えてくれたらありがたいですよね。しかし、「何がわからないかがわかる」には、全体の8割くらいの理解が必要であるようです。わからないことの割合がふえると、何がわからないか表明することはとたんに難しくなります。なので、「何がわからないのか」と、問い詰めるのも、相手を困らせるばかりで有用な回答が得られないつまり解決に近づかない可能性が高いため、やめたほうがよさそうです。

 

怒りというのが自然に湧いてくる感情なのは承知しています。しかし、目的が明確な場合、怒りを相手にぶつける以前にやるべきことがあるように思うのです。目的が明確でなかったら? 目的が明確ですらない伝達事項について他人を責めるのはちょっとかっこ悪いですよね。アスペって、理屈がわかれば感情の揺れなどコントロールできる人が多いように思うのです。合目的的に行きましょうよね。