アスペ的論理/道徳その7。図を描く。とくにベン図。
アスペ的な厳密さを実現するためには、論理学の知識があったほうが楽です。「もやもやっとしたまま放置している気がする」って、気になるじゃないですか。アスペは自分に対してもごまかすのが苦手ですからなおさらです。って、そんな難しい話ではない(はず)です。難しかったら、それはわたしの説明の問題です。
論理の前提には、ものごとを正確に把握・記述する、というステップがあります。正確というのは、的外れじゃない、ということだけじゃなくって、どうにもとれるようなあいまいなことばを避ける(6でとりあげた「みんな」とか、論理にはなじみませんね)ことも含まれますね。あいまいさ以外にも、不正確につながりやすいケースはあります。代表が、「ベン図」であらわされる関係です。
聞いたことがない、というひともいそうですね。例を挙げてみましょう。
世の中には、猫が好きな人と犬が好きな人がいます。
さて、猫が好きな人には猫のキーホルダー、犬が好きな人には犬のキーホルダーをあげようと思いつきました。全員、ひとつずつキーホルダーをもらって帰る図が思い浮かびます。
これ、非常によくあるんですけどね。
猫が好きな人と犬が好きな人がいる
= 世の中の人は、猫好きか犬好きのどっちかである
ほんとに?
もう一回考えてみると、そういえば、両方好きな人と両方嫌いな人がいますよね。これを思いつかないがゆえに考えの前提が現実からずれてしまうケース、多いのですよ。
〜と〜がある、〜と〜はどっちもほんとうだ、というときに、下のような図(これがベン図ね)を描く習慣をつけると、「世の中の人は、猫好きか犬好きかどっちかである」という間違った結論に至りづらいのでおすすめです。
これね、文章で表すと、
「世の中には猫が好きな人と犬が好きな人がいる。両方好きな人もいれば両方嫌いな人もいる。」ですよね。英語には、and/orという便利な表現もあります。
絶対クロスするかというとそうでもないです。
たとえば、ジュースとオレンジジュースの関係。オレンジジュースだけどジュースじゃないものって… たぶん存在しません。この場合、ベン図の見た目はちょっと変わります。本質的にはいっしょですけど。
こんなふうに、部分的に欠けるあるいはエリアは作ったものの中身はゼロ、みたいなこともときどきあるわけです。偶数と奇数、であれば、真ん中のエリアがない、ってことになりますね。偶数であってしかも奇数なんて数字はありませんので。
どっちだろう、と考えるとき、とくに便利です。わたしはアスペなのかADHDなのか? →どっちもかもなあ、みたいな感じです(あずさに関していえば、実際にはアスペだけでADHDではないですけどね)。そうか、どっちかに決めなきゃいけない、なんてことはなかったんだ、ってことはたくさんあるわけです。
〜なのか〜なのか、ってとき、自動的にこの図を思い浮かべると、たぶん一段階賢くなれます。おすすめです。